出来事を書くのではなく、自分を掘っているのかもしれない 〜ブログを書き始めて気づいたこと〜


今日は、ブログについて。

いや、「ブログ論」みたいな大層なことじゃない。

「ブログって、自分を発掘するツルハシかもしれんぜ」

って話。

世の中には、何年もブログを書き続けてる人、結構おるよね。

旅行ブログ。

育児ブログ。

趣味ブログ。

読書ブログ。

日記ブログ。

まっつんスタイルも昔から、そういう個人ブログを読むの、わりと好き。

なんか安心するんよね、あのブログらしいブログ(笑)。

その人の暮らしが見えるし、人柄もなんとなく伝わってくる。

SNSとはまた違う良さがあるよね。

でも最近、自分が書き手になって気づいたことがある。

ブログって、出来事を書くためっていうより、

“自分を掘るためのものなんかもしれん”

ってこと。

例えばそう、散歩。

ただ歩いた。

気持ちよかった。

これだけなら日記。

もちろんそれでもいい。

でも、まっつんスタイルの場合、

そこから始まる(笑)。

「なんで歩くのって気持ちいいんやろ?」

「なんで歩いてるとアイデアが湧くんやろ?」

「なんで自然の中におると安心するんやろ?」

そんなことを考え始める。

すると、

健康の話になり、

集中力の話になり、

幸福の話になり、

果ては人生観の話になっていく。

気づけば、

散歩の話を書いていたはずなのに、

「自由とはなにか?」

とかまで考えてる(笑)。

最近の記事もそう。

永平寺に行った話。

横浜に惹かれるの話。

AIとの共作の話。

理想の女性の話(笑)。

全部、最初は別々のテーマやった。

でも掘っていくと、

結局いつも同じ場所に辿り着く。

「で?俺はどう生きたいのか?」

っていう場所に。

永平寺の話を書いてたら、

祈りや人生の話になった。

横浜の話を書いてたら、

理想の生き方の話になった。

理想の女性の話を書いてたら、

理想の自分の話になった(笑)。

なんとも不思議。

でも最近は、それがブログのおもしろさであり、“書く意義”とすら思うかな。

たぶんブログって、発信ツールである前に、自己発掘ツールなんよね。

最初に言ったツルハシみたいな(笑)。

自分は何が好きなのか?

何に違和感を持つのか?

何に感動するのか?

どんな人生を送りたいのか?

そういうものを、書きながら発見していく。

で実際、書く前より、書いた後の方が理解できてたりする。

なんなら、

「俺ってこんなこと考えてたんや!」

って、自分で驚くことすらあるし(笑)。

だからテーマなんか何でもいい。

筋トレでもいい。

心理学でもいい。

ZENでもいい。

アニメでもいい。

歴史でもいい。

大事なんは、

「で、そこから何が見えた?」

ってこと。

出来事そのものより、その出来事を通して、

何を感じたのか、

何に気づいたのか、

何が大切って思ったのか。

そこに、“その人らしさ”が出るんよね。

『まっつんスタイル』は、

健康の話も書くし、

モテの話も書くし、

禅の話も書くし、

ブログの話も書く。

自分でも、

「いや、雑記にもほどがあるやろ!」

って思う(笑)。

でも実際は全部つながってる。

つながってしまう。

健康も、

モテも、

ライフワークも、

思考も、

人生観も。

全部、

「どう生きるか」

っていう、同じテーマの別角度。

だからジャンルが違っても違和感がない。

少なくとも、自分の中では。

そして、読者諸氏も・・・、たぶんそう、であってくれ(笑)。

今は動画全盛。

SNSですら、もう動画が中心。

それはそれで楽しい(まっつんスタイルは一切見ないけど(笑))。

でもブログにはブログの良さがある。

今だに、そしてこれからも。

書きながら、考えられる。

考えながら、掘れる。

掘りながら、自分でも知らなかった自分に出会える。

文字を介した思考プロセス。

実はかなり最強だったりする。

ブログの価値って、発信することだけじゃない。

自分を知ること。

自分を掘ること。

自分の人生を理解していくこと。

そこにもあるんちゃうかなと。

今日のスタバ。

今日の謎。

今日のイラッ。

今日の感動。

そんな些細な出来事を掘っていくと、気づけば人生観が見えてくる。

自分と世界の解像度が上がって、どんどん生きやすくなる。

というわけで、まっつんスタイルはこれからも、出来事の奥にある“意味”を掘り続ける。

ツルハシで(くどい(笑))。

ブログって案外、自分の中の鉱脈を見つける発掘作業やからね(笑)☆


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