「人生は短い」が、しんどい理由 〜「もっと頑張ろう」より大切なこと〜


「人生は短い」

「今がいちばん若い」

最近ホンマによく見る(笑)。

自己啓発、ビジネス界隈、SNS、YouTube、書店の棚・・・。

あらゆる場所で繰り返される定番フレーズ。

まぁたしかに、一理ある。

やりたいことを先延ばしにしすぎて後悔する人もおるやろし、人生が有限なのも事実。

でも、なんかね・・・。

なんか、ワクワクしない(笑)。

そんなこと言われても、

「ホンマやな!よっしゃがんばろう!」

とはならん。

むしろ、焦る(笑)。

罪悪感だけが肥大して、

「まだ足りひん!」

「急がな!」

「置いてかれてまう〜!」

ってそんな感覚ばっかり強くなる。

うん、ええのか?これで?(笑)


☆「人生は短い」は、誰の人生なのか

まっつんスタイルが思うに、たぶんあの言葉って、無意識のうちに“誰かの成功イメージ”を前提にしてんのよね。

もっと早く。
もっと稼げ。
もっと挑戦しろ。
もっと結果を出せ。
もっと市場価値を高めろ。

要するにこれって、「人生は短い」っていうより、

「他人の理想ルートを急いで走れ」

っていう“謎の圧力”として作用してる気がするわけ。

だから焦る。

で、それ、ホンマに自分の人生なん?


☆呪いの正体は「他人の時間軸」

東洋哲学的に見ると、こういう言葉に反応して苦しくなる時って、結局「他人と自分を切り分けた自我」が暴走してる。

「あの人みたいにならねば」
「今の自分じゃダメなんじゃないか」
「成功する前に年老いていく」

そうやって、他人の基準、他人の時計で自分を測り始める。

でも、本来、人生のテンポなんて人それぞれやん?

発酵みたいに時間が必要な人もおれば、花火みたいに瞬間的に爆発する人もおる。

焦って今を台無しにして生きるか、自分の時間を取り戻し、納得とともに生きるか。

このあたりことを、本来は冷静に考えることのほうが大事。

で、まっつんスタイルは、断然後者(笑)。


☆「停止と観察」というサイドブレーキ

じゃあ具体的にどうする?

そう、ここでもいつも通り、まっつんスタイル(笑)。

焦りを感じた時、そのまま飲み込まれるんじゃない。

「あぁ、また他人のBGMに踊らされとるがな」

って気づく。

もうホンマこれ。

一回止まって、観察する。

焦ってる自分を観る。

「人生は短いぞ!」
「もっと急げ!」
「もっと頑張れ!」

そんな言葉に反応して、「自我」がバタついてるのを静かに眺める。

「それ、ホンマに自分にとって大事な価値観?」

って。

すると、少しずつ謎の“焦燥熱”が引いていく。

これはたぶん、禅でいう“観照”に近い。

消そうとしない。
否定しない。
ただ一旦、見守る。

すると、呪いだった言葉が、だんだん別の意味を帯び始める・・・。


☆本当の意味での「人生は短い」

ここからが、まっつんスタイルの奥義(笑)。


禅的に言えば、

「人生は短い」=「だから急げ!」

じゃない。

そうじゃない。

「人生は短い」=「だから、“今”を雑に扱っちゃダメよ」

これ。

これが真髄。

スタバの雰囲気を味わう。

空の大きさを感じる。

月と雲のコントラストに泣く。

コーヒーの香りを堪能する。

ブログを書きたい衝動を楽しむ。

こういう、一見なんでもない時間の中に、人生の本体があると、知る。

日常にある“静かな快”。

「特別な成功」を、“少しでも早く味わう”ことが全てじゃない。

“今”を深く味わうことの愉悦

これを大事にすること。

以前にも書いた、映画『パーフェクトデイズ』みたいに。

「人生は短い」。

ならば、「もっと頑張ろう」よりも、「今を大切にしよう」って考える。

これがまっつんスタイルの奥義(笑)。


☆「呪い」ではなく「祈り」

結局、「人生は短い」も「今が一番若い」も、使い方次第。

別に、「そんなんおかしい!」とか言うつもりはない(笑)。

「焦らせる呪文」として使えば、人をラットレースへ追い込むだけ。

でも、

「有限だからこそ、今日を味わおう」

という“祈り”として使えば、人生は静かに、豊かになる。


だから最近はこう思うことにしてる。

人生は短い。

だからって、そう焦ることもなかろう。

今が一番若い。

だからこそ、今の自分をちゃんと愛でよう。

とね。

世界は、自分の呼吸とリズムで、ちょうどいい☆


コメント

コメントする