自己評価は、守るものじゃなく育てるもの 〜怖さを連れたまま、行動する〜


ブログを書く毎日の中で、最近また腑に落ちたことがあってね。

どうも俺は、行動できないんじゃなくて、

「自己評価を下げたくなくて“行動しなかった”」

んやなってこと。

・・・まぁ知ってたけどさ(笑)。

ここへきて改めて、ね。

何か新しいことに挑戦するとか、誰かに見られる場所に立つとか。

こういうことをするときに、いちいち妙なブレーキがかかる。

ブログを書いて公開することすらそう。

いまだに(苦笑)。

「もっと整えてから」

「もう少し完成度を上げてから」

「これで出すのは早くない?・・・」

すぐそんなふうに考えてしまう。

これ、一見、向上心があって、質の高さを追求してるようにも見えなくもない。

でもホントは違う。

失敗したくない。

低く見られたくない。

ガッカリされたくない。

でもってついでに、これ以上、自分のセルフイメージを傷つけたくない・・・。

たぶん、このあたりが本音。

こじらせて、こじらせて、こじらせ続けてきた本音(笑)。

今更やけど、いらんことに気づいちゃった。

あぁめんどくさ(笑)。

まぁめんどくさいけど、今日はもう一回、

「じゃあそこらへんを踏まえてどうする?」

を言葉にしてみようかな。


☆完璧主義は、向上心ではなく防御本能

今回のキーワードのひとつが、「完璧主義」やと思う。

「完璧主義」って、たまにカッコよく聞こえることがあるよね。

・妥協しない

・質にこだわる

・自分に厳しい

でもこれ、まっつんスタイル的に分解すると、かなりの部分、“防御”やと思う。

「完璧にしてから出せば、傷つかずに済む」

「ちゃんと評価される状態にしてから動けば、自分を守れる」

「失敗しなければ、自己評価は下がらない」

つまり、完璧主義って、傷つかないための“鎧”。

評価される恐怖に対する“盾”。

こだわりそのものは悪くはない。

でも、そのこだわりが行動を止めてしまうのなら、それはもう能力じゃなくて、ただの“檻”。

で、まっつんスタイルの場合は、どうやら後者(苦笑)。


☆母親に心配をかけたくなかった子ども時代

この思考癖の根っこには、何があるんやろう?

自分なりに考えたことは、それこそ何万回とある(笑)。

で、まぁ間違いなく「家庭環境」ってことでファイナルアンサー。

まっつんスタイルの中では(笑)。

父親のいない環境で育った子供時代。

とにかく母親に心配をかけたくなかった。

余計な負担をかけたくなかった。

失敗して嫌な顔されたくなかった・・・。

きっと無意識にそう思い続けてきたんよね。

「大きな成功を望まない代わりに、小さな失敗も避ける」

これが「安全第一」の、我が母の教え(笑)。

・挑戦しない

・目立つことはしない

・リスクは避ける

・危険じゃない方を選ぶ

・判断は、優秀な人に委ねる

だからそう、こういう「思考癖」って、弱さでも怠惰でもなくて、当時の俺にとっては“生きる知恵”やったんやと思うのよね。

で、その「安全設計(仮)」を、40年近く使い続けてきたってわけ。

まぁ今更、簡単には変わらんわなぁって話(笑)。

科学的根拠とかは知らん。

でもそう考えると、めっちゃ自分で納得。

・・・今のとこ(笑)。


☆これは悪法ではなく旧法

ただ、ここで大事なのは、この癖をいきなり敵視して排除しようとしないことかなって。

それは思う。

この癖が、昔の自分を守ってくれてたのは事実。

だからこれは、“悪法”っていうより“旧法”やと思うことにする(笑)。

かつては必要やった“法”。

でも今はもう制度疲労を起こしてるから“更新が必要”。

「今日まで守ってくれてサンキュー」

「でももう、今の俺は大丈夫や」

そう言って、少しずつ新しいルールに上書きしていけばいい対象。

消すんじゃなくて上書き。

ここ、大事なポイントやと思ってる。


☆感受性は、弱点であり才能

まっつんスタイルは、たぶん昔から(そして今も)、他人の顔色や、場の空気に死ぬほど敏感なのよね。

それはもう人の何倍も。

母親の表情。

母親のため息。

母親のちょっとした言葉の温度。

こういうものを拾いすぎてきた。

このへんが生きづらさの原因になったんかもしれん。

ていうか、全部母親(笑)。

でもこれ、同時に、今のまっつんスタイルの武器にもなってるのもたしかでね。

これがおもろいとこ。

・高い感受性

・幅広い好奇心

・本質を見抜く審美眼

・違和感を拾うセンス

・問いを立てる力

これらは全部、さっき言った“過敏さ”とセットで育ってきたものやと思うわけ。

自分で言う(笑)。

だから、まっつんスタイルのブレーキやセンサーは、壊れてたんじゃないのよ。

“優しさと繊細さの警報”が、ギャンギャン鳴りすぎてただけ。

で、今、その警報装置を、ブログを書くペンに持ち替えようとしてるってわけやな。

どうこの前向きさ(笑)。


☆「観察による消失」と「行動による停止」

じゃあ、これからどうするか?

答えはたぶん、これ。

前に読んだ、鈴木祐さんのご著書にも書いてあったやつ(笑)。

「観察による消失 + 行動による停止」

不安や恐れが出てきたら、まずはそいつを観察する。

「あぁ、これはまた自己評価を守ろうとしてるやつやな」

「あぁ、今めっちゃビビってるな」

「あぁ、また完璧(仮)を目指し始めたな(笑)」

そうやって、“観る”。

すると、その感情の暴走が、少しだけ弱まる。

“観察された感情”ってやつは、形を保ちにくいもの。

これはどっちも、まっつんスタイルの体感。

で、次は?

実際に行動する(笑)。

例えばブログなら、少しだけ書く。

未完成で保存する。

あるいは、自己採点80点でも出す。

怖いまま、それでも公開する。

「行動すること」も、思考の暴走を止めてくれると思うからね。

頭の中で膨らんだ恐怖は、現実に触れた瞬間、だいたいは小さくなる気がする。

「観察」と「行動」。

これを繰り返す。

それはもうひたすら、繰り返す。

生涯修行(笑)。

自分を壊さず、それでも前進できる。

最近になって、ようやく編み出した、まっつんスタイル的・処世術(笑)。


☆自己評価は守るものではなく、育てるもの

まっつんスタイル。

たぶん今までは、自己評価を“守るもの”として扱ってきたらしい。

下げないように、傷つけないように、壊れないように、大切に大切に・・・。

でもこれからは違う。

自己評価は、守るものじゃなくて“育てるもの”として捉え直す。

・失敗しても回復できる

・未完成でも進める

・評価されなくても、自分が消えるわけじゃない

この“体感”を、少しずつ少しずつ積んでいく。

体に染み込ませていく。

これが、これからのまっつんスタイルに課せられた修行かなって。

今は素直に思えてる。

47年で得た、成長の実感(笑)。


☆最後に

俺ってやつは、長〜いこと自分を守るために動けなかった。

正確には、“動けなかった”し、“動かなかった”、やな。

でもどうやら、その“動けなさ”の中にも、ちゃんと意味はあった。

怖かった。

傷つきたくなかった。

母親に心配をかけたくなかった。

自分をこれ以上嫌いになりたくなかった・・・。

それはもう痛切にそう思い続けてきた。

よう生きてきたと思うよ。

我ながら(笑)。

でも、もうそろそろええんちゃうかなと。

これからは、“守る”よりも“育てる”。

怖さを消すんじゃなく、怖さに、

「一緒に来いよ!」

って声をかける(笑)。


『まっつんスタイル』は、これからも、

・完璧じゃなくても出す

・評価が怖くても書く

・自己評価が揺れても、また戻ってくる

観察して、行動する。

し続ける。

その反復の中で、まっつんスタイルの中の古い“安全装置”は、少しずつ“新しい自由”へと書き換わっていく。

そう信じる。

たぶんそれが、まっつんスタイルにとってのZENであり、ブログであり、人生なんじゃないかね☆


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