世界は“あわい”でできている 〜ヴェンダースと禅とシンディー・ローパーのあいだで〜


ふと、二つのものを並べて、共通点を感じてみたくなる癖がある(笑)。

例えば、ヴィム・ヴェンダース監督の映画と禅の思想。

でもまぁこれは有名で、世間でもよく考察されてるのかな。

たとえば、まっつんスタイル的には、そのヴェンダース監督の作品『PERFECT DAYS』の主人公・平山とCyndi Lauperを並べてみるとか(笑)。

あとはベタに、シンディー・ローパーとマドンナの対比とか。


普通に考えて、なんとなく比較はできても、共通項があるかと言えば、なんかバラバラ。

でもどこか、“同じ匂い”を感じる。

今日はこの感覚を遊んでみようかな。


☆その正体は「あわい」

共通項。

見出すとすれば、それはおそらく「間(あわい)」。

人がなぜか、本当に惹かれるもの、「あわい」。

これやな。

いい言葉やね「あわい」。

まっつんスタイル哲学の中核。

どっちでもない

でも、どっちでもある

有るか無きかの「境界」であり、「余白」。

「にじみ」、もしくは「はざま」。

白か黒かで切り分けられへん領域。

その中間に宿る、謎の色気。

これが、ヴェンダース監督、平山、シンディー、そしてマドンナの共通点(笑)。


☆ヴェンダース作品と禅──有の中の無、無の中の有

ヴィム・ヴェンダース監督の映画って、説明せえへんよね。

何が起きてるのか、その全部は語らん。

でも、ちゃんと伝わる。

そんな不思議な作品が多い。

静かな時間、余白の多い画。言葉にならん感情・・・。

あれって、「何もない」ようで「全部ある」状態やと、まっつんスタイルは思うわけ。


これ、禅で言うところの「空(くう)」に近いかな。

空って、「無」じゃなくて、「すべてが立ち上がる余白」のことやから。

「すべての可能性の“場”」。

有の中に無があり、無の中に有がある。

その“あいだ”に立ってる視点。

まさに「あわい」。

これが、ヴェンダース作品に漂う気配なんやと思う。

そして、まっつんスタイルも、ここをこれ以上あえて言及しない(笑)。


☆シンディーとマドンナ──自由の両義性

80年代を象徴する二人の歌姫。

Cyndi LauperとMadonna。

この二人はどうやろ?

なんとなくライバルで、よく比較されたりしたやろけど、印象は真逆。

シンディーは、やさしさと赦し。

どこまでも自然体で、すべてを受容する“陽”の空気感。

マドンナは、強さと征服。

圧倒的なカリスマで、世界を自分色にしようとする“陰”の空気感。


でもおもしろいのが、どちらも**「自由に生きる」**の体現なんよね。

シンディーは、世界を受け入れる自由。

マドンナは、世界を変えようとする自由。

方向性は違う。

でも根っこは同じ。

ここでもやっぱり、対立やなくて、“あわい”で繋がってる。


☆モテもエロも「あわい」

実は、モテエロZENも「あわい」(笑)。


モテる人って、完璧すぎる人でも、未熟すぎる人でもない。

「揺らぎを抱えたまま立ってる人」なんよね。

強いけど、やさしい。

静かやけど、熱がある。

余裕があるけど、どこか不器用。

この“ちょうどいいズレ”が、人間の魅力。


エロも同じ。

触れるか、触れないか。

言うか、言わないか。

見せるか、見せないか。

この**ギリギリの間(あわい)**に、いちばん色気が宿る。


あまりに隠したんでは伝わらない。

でも、全部見せてしまってはつまんない。

だから、香らせ、にじませ、漂わす。

これがまっつんスタイル的な“あわいの色気”。


☆「悟り」とは“無感情”ではない

ZENのことで言うと、ここはちょっと大事なポイント。

「悟り」って聞くと、「動じない人」みたいに思うよね。

あるいは「何も感じない、無感情な状態」みたいに曲解してしまうこともある。

でも実際はそうじゃない。


『PERFECT DAYS』の平山もそう。

なにやら仏さまのようやけど、ちゃんと怒るし、ちゃんと嫉妬もするし、ちゃんと悲しむ。

ただ、その感情に飲まれてへんだけ。

感じてるけど、囚われてない。

「感じない」んじゃなくて、「感じても揺れきらない」状態。

これが、まっつんスタイルZENの中道。

そして「あわい」。


☆「あわい」を生きるということ

白か黒かで決めたがる世界で、「どちらでもない場所」に立つのは、ちょっと怖い。

勇気がいる。

曖昧やし、わかりにくいし、評価もされにくい・・・。

でも、ホンマに美しいもんは、だいたい“そこ”にある。

強すぎず、弱すぎず。

語りすぎず、黙しすぎず。

飾りすぎず、捨てすぎず。

その“未完成のバランス”に、「あわい」の神が宿る。


☆世界は「あわい」でできている

意外と別々に感じるものを並べてみたら、なぜか同じものが見えてくる。

そこに立ち上がるのが、“あわい”という感覚。

モテも、エロも、ZENも、全部そこにある。

これはまさに、まっつんスタイルの世界観やね。

触れそうで、触れられない。

言葉になりそうで、ならない。

でも確かに、そこに何かを感じる・・・。

そして人は、その余白に惹かれる。

そこにあるのはたぶん、矛盾を抱えながら懸命に生きてる人間が放つ色気。


「この世は“あわい”の世界」

そもそもこういう前提で生きていけたら、生きることは意外とラクになる。

人生の彩りが、いやますと、まっつんスタイルはそう思う☆


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