毎月一日は、恒例の神社参拝。
いわゆる「一日参り」やね。
もう習慣になってから数年は経過したと思う。
これ別に、何か願い事をしに行くのとは違ってね。
これよく誤解されるとこやけど、実際はただ、愛と感謝を捧げに行くもの。
たしかに「愛と感謝」とか、自分で言うは小っ恥ずかしい(笑)。
でも最近は本当に、そんな純粋な気持ちで神社へ向かうようになれた気がする。
☆
「一日参り」が習慣になったきっかけは、小池浩さんの書籍を読んだこと。
あと決定的やったのは、「北海道神宮」への参拝かな。
あの荘厳で凛とした空気。
鳥居をくぐった瞬間、街の音が少し遠くなったような感覚。
おみくじ「大吉」やったし(笑)。
以来、ことあるごとに神社へ足が向くようになったよね。
もちろん有名な神社も好きやけど、最近は、小さな村の神社や氏神様にも惹かれる。
誰もいない。
観光客もいない。
ただひたすら、静かな時間だけが流れてる。
そんな空間が、なんとも心地良かったりする。
☆
少し前の話。
ドライブがてら、綾部市の上林を走っててね。
ふと道路脇を見たとき、立派な鳥居が一瞬目に入った。
「あらら?なんやあそこ(笑)」
ほんの数秒の出来事。
でも、その鳥居が妙に頭に残ったのよね。
小さな集落と鳥居が違和感なく溶け込んでる感じ。
「あそこ、行ってみたい」
そう思いながら何日か過ごして、後日、足を運んだ。
調べたら、「室尾谷神社」っていう神社。
たぶん“呼ばれた”んやと思う。
なにやらスピっぽいけど、まぁ、そういうことにしとく(笑)。
☆
鳥居をひとつ、ふたつ・・・。
なんか三つか四つくぐったんちゃうかな(笑)。
でもホント不思議なことに、鳥居をくぐるたびに、外の世界が少しずつ遠ざかっていく。
いわゆる“現代っぽさ”がまったくない。
結界の中へ入っていく感じ。
静か。
ただただ、静か。
その静けさが、ひたすら気持ちいい。
境内には立派な巨木が何本も立ってる。
もちろん、全てに直接触れてきた。
木の幹に手を当てると、自分の時間の短さを思う。
この木は、きっと何百年もここに立ってる。
俺が生まれる前からここにいて、俺がいなくなった後も、きっと変わらずここにいる。
そう思うと、人間って小さい。
そして湧き上がる“畏怖の念”。
畏怖の念は、心に静寂をもたらしてくれる。
☆
神社の境内を散策すると、毎回思う。
どこもめっちゃ綺麗なのよね。
そういえば「出雲さん」に行ったときにもはっきり感じた。
ゴミもない。
落ち葉も少ない。
雑草も整えられてる。
そう、誰かが掃除をしてくれてるんよね。
誰かが常に手入れをしてくれてる。
何百年もの間、きっとたくさんの「誰か」が、この場所を守ってきた。
名前も知らない誰か。
歴史に残ることもない誰か。
そんな人たちが少しずつ少しずつ、神社を未来へ受け渡してきた。
そう思うと、なんか涙が出そうになる。
☆
神様には、
「今月もよろしくお願いします」
そう心の中でご挨拶してきた。
お願い事というより、ご挨拶。
そして感謝。
神様を必要以上に畏れる必要はないとは思う。
親しみも忘れたくない。
でも、自分よりも大きなものに対して自然と頭が下がる感覚。
「敬い」や「畏れ」。
そういう感覚だけは、これからも大切にしたいよね。
☆
最近はAIの進化がすごい。
便利になる。
きっとこれからもっと便利になる。
でも今日、神社を歩きながら思った。
AIがどれだけ進化しても、この“静けさ”は再現できんよね、と。
鳥居をくぐる瞬間。
木に触れたときの手の感触。
少し背筋が伸びるような空気。
こういうのって、情報じゃないから。
何百年って時間には、人間もAIも勝てない。
身体で感じるもの。
言葉では説明できないもの。
だからこそ、価値がある。
また足を運びたくなる。
☆
まっつんスタイルのライフワークは、
「モテるには?」
を考えること(笑)。
だから、筋トレもする。
健康にも気を遣う。
でも、それだけじゃない。
感謝できる人。
敬える人。
誰かが何百年も守ってきたものに思いを馳せられる人。
そんな感性を持った人って、きっと人として魅力的なんやと思うのよね。
これ、神社に行ったら急にモテ始めるって意味じゃない(笑)。
でも、こういう清らかな空気に触れ続けてる男って、少しずついい顔になっていくんちゃうかなって思うわけ。
これ、単なる印象論じゃないと、まっつんスタイルは思う。
だから・・・、いや、だからってわけじゃないけど(笑)、来月もまた神社に行く。
「今月もありがとうございました」
「来月もよろしくお願いします」
「愛してます」
そうしてまた、静かに手を合わせたい。
たぶん、それだけで十分なんやと思う☆


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