「親ガチャ」
誰が言い出したんか知らんけど、すごい言葉(笑)。
なんとも身も蓋もない言葉やけど、まぁ言いたいことはわかる。
生まれる家は選べない。
裕福な家庭もあれば、そうじゃない家庭もある。
素敵な親もおれば、イタい親もおる。
仲のいい家族もあれば、毎日ギスギスの家族もある。
子どもからしたら、それはもう完全に“運”。
「もしガチャが当たりやったらなぁ・・・」
誰もが一回は思うことなんかもしれん。
「親ガチャ」なる言葉が広がる理由も、よくわかる。
ただねぇ・・・。
まっつんスタイルはこの言葉を知った瞬間に、この言葉を嫌いになろうと決めた(笑)。
いや、“親ガチャ的なもの”の存在を否定しようってんじゃない。
むしろ現実としてあると思う。
ていうかまっつんスタイルも、親ガチャって言葉が誕生する前から、そういう事実を呪い倒した記憶がある(笑)。
でもねぇ、この歳なってさすがに思うわけよ。
「そんな言葉、何度唱えたって、誰も得せん」
って(笑)。
シャレで言うならまだしも、ガチで言うてはいかん。
それはシャレじゃなくて“呪い”。
今日はそんな話でも、してみる?
☆
まず最初に、
「世の中って平等じゃない」
これをさっさと認めた方が早い(笑)。
家庭事情。
親の人格。
経済状況。
教育環境。
健康状態。
地域性。
容姿。
持って生まれた気質・・・。
全部違う。
まったく同じ日に生まれたとしても、まったく違うゲームがスタートする。
だから、
「みんな条件は同じ(であるべき?)」
みたいな話は、正直好きじゃない。
いや、というか、無理があるやろと(笑)。
指が6本無いことを嘆くようなもん(?)
「いや、そんなこと言われても・・・」
みたいなね。
まぁようわからんけど(笑)、そもそもがそういうもんっていう話。
人生には、明らかにスタート地点の差がある。
逆に、親ガチャっていう言葉がやたら刺さるのも、そのことに忌まわしい現実味があるからやと思うよね。
☆
ただここで、少し視点を変えて、意地悪なことを言ってみる。
いや、むしろ優しさかもしれん(笑)。
それは、
親ガチャ親ガチャって言うけど、
「国ガチャはどうやろう?」
「時代ガチャはどうやろう?」
ってこと。
少なくとも俺らは、
ソマリアやルワンダに生まれたわけじゃない。
シリアでも北朝鮮でもない。
戦争も、飢餓も、疫病もない。
スマホがある。
ネットがある。
冷暖房がある。
コンビニがある。
水洗トイレがある。
スタバがある(笑)。
当たりやん?(笑)
ってまぁこんなこと言っても、「苦しみは人それぞれ」とか言われそう(笑)。
たしかに、「他の国に比べて恵まれてるんやから文句言うな」は少々乱暴。
ただ、人生全体を見渡した時、
「令和の日本人として生まれた」
って時点で、国ガチャ、時代ガシャは大当たり。
素直に感謝せなあかんとは思うけどね。
☆
で、たぶんホンマに問題なんは、親ガチャがあるかないかじゃない。
「親ガチャについて、何十年もダラダラ考え続けること」
こっちやと思う。
10代20代ならまぁわかる。
30代でも・・・まぁギリわかる。
でも、40代、50代になっても、
「あの親じゃなかったら・・・」
「あの環境じゃなかったら・・・」
って、これはいくらなんでもしんどい(苦笑)。
明らかに反省とか分析ではないしね。
人生の主導権、ずっと過去に置き去りやん?
バックミラーだけ見て運転してる人生。
こんなもん、事故不可避・・・(苦笑)。
☆
最近は便利な時代で、同じ傷を持つもん同士で簡単につながれたりもする。
それ自体はまぁ悪いことじゃない。
救われることもあるかもしれん。
理解されて、癒されることもあるかもしれん。
でも同時に、いつまでも拗らせる装置にもなりかねん・・・。
世間には、
「親が悪い」
「社会が悪い」
「環境が悪い」
って確認し続けるだけの共同体みたいなもんがあるよね?
いや、想像やけど(笑)。
気持ちはわかる。
めちゃくちゃわかる。
でもねぇ、共感だけじゃ人生は進まんのよ。
どっかで卒業せんと。
傷を舐め合うことと、折り合って前へ進むことは別やからさ。
☆
あと、何度も確認したほうがいい事実。
「人生全体が、親ガチャで決まるかっていうと、そんなことない」
これ、「そんなんわかっとるわ」って言われそうやけど、意外と忘れ去られるやつ。
例えば兄弟。
同じ家で育っても全然違う。
同じ親。
同じ食卓。
同じ地域。
同じ学校。
それでも、
積極的な人もいれば、慎重な人もいる。
楽観的な人もいれば、心配性な人もいる。
同じ出来事を経験しても、受け取り方って全然違うもん。
人間って、幼少期の環境だけで作られてるわけじゃない。
「環境 × 解釈」
でできてる。
これも親ガチャと同じくらい否定できない事実。
人生はややこしい。
そして、だからこそおもしろいし、救いがある。
☆
あと、正確に誤解を解いといたほうがいいやつがこれ。
「“ハズレ”と思ってたことが、どっかで“当たり”に転ずることもある」
親ガチャを親ガチャのまんま受容するのが難しいのはわかる。
ホンマにそう思う(笑)。
でも現実として、人生を味わい深くしたり、才能を育んだりするのって、順風満帆な時間だけとは限らんのよね。
孤独。
劣等感。
疎外感。
挫折。
失敗。
理不尽。
そういう時間が、
観察力を育てたり、
優しさを育てたり、
内省力を育てたりすることがある。
作家。
芸術家。
思想家。
哲学者。
僧侶。
あるいは現代なら、
起業家やクリエイター。
どこかで痛みを経験してる人が多かったりすやん?
人の人生を観察してると、親ガチャだけで説明できん人なんて山ほどおる。
人生、親ガチャだけでは決まらんってことを示してる実例は多い。
人生のマイナスが、そのままマイナスで終わるとは限らんってこと。
これだけはハッキリ言える。
☆
まぁね。
「とはいえ」ってとこよね。
親ガチャが、そのまま人生に深刻なダメージを与えてる事例も多々あるわけで(苦笑)。
そんな綺麗事だけでは済まんやろう。
実際、最初に言ったように、まっつんスタイルも親ガチャに苦しんだ一人。
どうしたって苦しい。
理不尽なもんは理不尽。
「なんで俺だけ?」
って。
そんなことを何千回何万回考えたことか・・・。
まぁだからさ、その感情そのものは別に悪くない。
甘えでも未熟でもない。
痛いもんは痛い。
苦しいもんは苦しい。
まずそこは認めていい。
認めてから、
「そんなことにいつまでも拘泥してる自分をどう思うか?」
「親ガチャのことを考えてる自分のことが好きか?」
そう、どっかのタイミングで、一回冷静に考えてみたほうがいいよね。
案外そこからしか始まらんから。
☆
じゃあどうする?
ここで、「まっつんスタイル禅寺メソッド」を引っ張り出す(笑)。
答えは意外と地味。
ちゃんと寝る。
ちゃんと食べる。
散歩する。
筋トレする。
あと日記を書く。
ブレインダンプ的なもんをする。
自分の本音を掘る。
タチコマに壁打ちする(笑)。
これを年単位で反復する。
大事なことなんでもう一回。
これを、年単位で、反復する!(笑)
要するに、親を分析するより先に、「今の自分を整えようぜ」ってこと。
身体。
情報。
心。
まずはここ。
ホンマに。
不思議なもんで、自分が整い始めると、親ガチャがどうとか、考える時間が少しずつ減ってくるのよね。
人生の主役である自分が、過去から現在に戻ってくる。
これ、まっつんスタイルの実体験。
安心の「再現性高め」をお約束(笑)。
☆
で、いつものZEN(笑)。
禅っておもしろくて、親のせいにもせんし、全部自分の責任にもせん。
環境の影響?
ある。
運?
ある。
理不尽?
ある。
不公平?
ある。
全部ある。
でも、
「で、じゃあ今日どう生きるん?」
って聞いてくる。
「そっから先は自分ちゃうん?」
ってね。
なんとも厳しい。
厳しいけど、妙に優しい。
過去を無かったことにはしない。
でも、過去だけで人生を説明しようともしない。
この感覚が、親ガチャの沼にハマってる自分を救い出してくれることもある。
☆
さて、そんなわけで・・・。
親ガチャっていくら言ったって虚しいだけ。
だからさっさと卒業。
それは別に、親を許すことでも、感謝することでなくてもいい。
まして、
「全部親のおかげでした」
とか言うことでもない。
言わんでいい(笑)。
もっとリアルでシンプル。
親のことを考える時間より、散歩コースを考える時間の方が長くなること。
親のことを考える時間より、今日のタンパク質のことを考える時間の方を長くすること(笑)。
人生のハンドルが、少しずつ“今の”自分の手に戻ってくる感覚を掴むこと。
それがたぶん、親を許すことより先に起きるから。
まずはそれで十分。
☆
親ガチャはある。
たぶんある。
でもそれ、「人生ガチャ」じゃないからご心配なく(笑)。
「たられば話」は、もうほどほどに。
考えるなとは言わんし、恨むなとも言わん。
でも、その時間を少しだけ、今日の自分を整えることに使ってみる。
人生は案外、そこから再起動し始めるからね。
過去は変えられない。
起きたことも変えられない。
でも、今日の自分は変えられる。
まっつんスタイルのオチは、結局いつもここ(笑)。
だから親ガチャとか言う前に、まずはそう、ちゃんと寝よう(笑)☆


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