☆まずいきなり断言する(笑)
「努力は続かないようにできてる」
これは性格でも意志の強さでも、ましてや根性の有無でもない。
そういうもん。
“人間の脳の仕様”の話。
- 不安になる
- すぐに飽きる
- 面倒臭く感じる
- 現状維持に逃げる
- 見通しを立てたがる
- ラクな方を選びたがる・・・
これ全部いわゆるホメオスタシス(現状維持機能)。
つまり、基本的には“脳は変化を嫌う生き物”ってこと。
だから「続かない自分」は欠陥じゃない。
「続かない方法で続けようとしてる」ってことが問題なのね。
努力は、人間の構造上、続かない!(断言!)
もう無理(笑)。
でも“調律”なら続く。
むしろ勝手に続いてまう。
じゃあこの努力じゃない“調律”の構造を、まっつんスタイル流に解き明かしていく。
☆努力は“力ずくで”自分を矯正する行為
「努力ってなんや?」って分解すると、
①現状の否定
②強制的な操作
③理想の押し付け
この3点セットやねん。
なんか怖いやろ?(笑)
だから、努力しようとした瞬間、脳はこう反応する。
「おいおい待て待て!、変化すんの?、あかんあかん!、死んでまうで!」
これが“努力の壁”の正体。
- 続けねば
- 成果を出さねば
- 完璧にやらねば
- やらない自分はダメだ
この“ねばならぬ”が、脳の抵抗(自我の暴走)を生むわけ。
つまり努力は、脳にとって“脅威刺激” になりやすい。
こんな構造で続けるとか、無理やん?(笑)
続けたとして、それはもう地獄そのもの。
想像しただけイヤになる。
☆“調律”とは何か?(まっつんスタイル的核心)
“調律”をまっつんスタイル的に言葉にすると――
「自分の心と身体と生活の“微調整”を重ねて、自分が一番「快」でいられる状態に戻す技術」
って感じかな。
努力みたいに「変えよう!変えねば!変えたる!」なんてことはしない。
ただ整える。
ただ合わせる。
ただ寄せていく。
ポイントは以下の3つ。
①目的は「快」
努力は「成果」が目的。
調律は「快」が目的。
「快」とは、
- 呼吸が深い
- 心が穏やか
- 身体が快調
- 動きが軽い
- 五感が常に開いている
- 自分の判断に納得できている
この「快」を基準にし続けるだけで、人生は勝手に整っていく。
さっきの「努力の構成要素」を考えれば必然。
まっつんスタイルはそう考える。
②変化を“強制”しない
努力は「変えようとする」。
調律は「自然と変わる」。
同じようで全然違う。
“強制”によるしんどさは、もう言うまでもない。
③続くのは「快」だけ
“努力”は「苦」だから続かない。
“調律”は「快」だから続く。
こんなもん考えたら当たり前。
もはや物理法則のレベル(笑)。
☆“調律”の実態は「反復による微細なズレの修正」
“調律”って、別になんか特別なことをするわけじゃないのよね。
例えば・・・
- 体が重い → 運動する、しっかり寝る
- 頭が疲れる → コーヒーを淹れる、音楽を聴く
- アイデアが浮かばない → 喋る、読書する
- 自我が暴走する → 呼吸を整える、笑う
- 不安になる → 観察する、消えるのを待つ
- 無気力になる → 遠出する、好きなものを食べる
- 気分がいい → やる、続ける
- 気分が悪い → やらない、休む・・・
この生活そのものが“調律”。
「努力しろ!」って言われると重くなるけど、「調律しよか♪」って言われると軽くなる(笑)。
これはただの言葉の言い換えじゃなくて、ある種の“魔法”であり“視点の切り替え”。
脳と身体の構造に合ってる。
だから続く。
☆調律で生きる人は魅力的(エロモテZEN)
努力の匂いが強い人は、
- 顔が硬い
- 焦っている
- 自意識が強い
- 動きがぎこちない
- 他者の評価を気にする
普通に考えて、男女関係においてはめちゃくちゃ不利。
そしてこれ、悲しいくらいに科学的事実(笑))。
逆に“調律で生きる人”は、
- 自然体
- 柔らかい
- 呼吸が深い
- 余裕がある
- 自意識が薄い
- 感情の揺れが小さい
これはめちゃくちゃエロい(笑)。
調律された人には色気がある。
無理してないから、魅力が勝手に滲む。
しかも、余裕があるから相手に安心感を与えることもできる。
つまりモテる!
“エロモテZEN”の基盤は“調律”。
☆“調律”で生きるための「まっつんスタイル流・6つの技法」
これは、まっつんのこれまでの内観修行の総決算(笑)。
①快・不快(好き・嫌い)ナビゲーション
意味じゃなくて身体(感性)で判断する。
- これは気持ち良いか?(好きか?)
- これは気持ち悪いか?(嫌いか?)
これだけのことで人生の9割は整う。
センサーの感度は常にビンビンにしておくこと!
②“1ミリの前進”だけ許可する
“努力”は10を求める。
“調律”は1ミリを積み重ねる。
「1ミリは努力じゃない」と脳が判断するから続く。
“調律”の判断基準は常に、「しんどい」じゃなくて「気持ちがいい」。
③反復する(反復=無我への入り口)
これぞ“調律”の正体。
あの白隠禅師もこれで悟った。
というか、“事を成した人”はみんなこれ。
反復は“意識と無意識の境界が薄くなる行為”。
だから無我に近づく。
だから快感になる。
だから続く。
④意味をつけない
「なんでできんの?・・・」
「こんなんでええの?・・・」
「これって進んでんの?・・・」
“意味付け”は間違いなく”調律”を乱す。
ベタベタと意味が張り付いたら即座に剥ぐ!(笑)
気持ちいいならOK。
気持ち悪いなら調整。
考えることはこれだけ。
⑤自我が暴走したら“停止”
「停止 → 観察 → 消えるのを待つ」
これがシンプルやけど最高の調律。
世間のメントレも、瞑想もマインドフルネスも、本質は全部これ。
⑥自然に任せる(無為自然)
やりたくない日はやらない。
動きたい時だけ動く。
でも“意志(顕在意識)”だけは切らさない。
“調律”の肝は、「意志は薄く持ち続ける、行動は自然に任せる」。
もう完全にこれ。
まさに「老荘思想」の「道」(TAO)やな。
☆努力をやめると、人生は“勝手に”動き出す
もう「努力じゃ自分を変えることはできない」って思うくらいでちょうどいい。
逆に“調律”で自分を整えると“勝手に変わる”。
例えば・・・
- 五感が冴える
- 世界と調和する
- 軽く生きられる
- モテる身体になる
- 心が静かで穏やか
- 日常が気持ちいい
- 健康が自然に維持される
- 自分のことが好きになる
- ブログを書ける身体になる(笑)
“努力”は“戦う人生”。
“調律”は“味わう人生”。
まっつんスタイル?
完全に後者でしょ(笑)。
☆“努力”の先に悟りはない。“調律”の先にこそ悟りはある
大事なことなんで音読推奨(笑)。
“努力”は常に自己否定をベースにしている。
“調律”は常に自己受容をベースにしている。
だから続く。
だから軽い。
だから魅力的。
だから無我に近い。
だから豊かになれる。
何度も言う。
まっつんスタイルは、“努力”ではなく“調律”。
“調律こそ”、「快」と「悟り」への直行ルート。
オッケーかな?☆


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