「子供には選択肢を与えたい」
この言葉を聞くと、なんともいえない気持ちになるよね。
・好きな習い事をさせたい
・望むなら留学させたい
・少しでもいい学校に行かせたい
・「〇〇になりたい」を、お金を理由に諦めさせたくない
うん、わかる。
めちゃくちゃわかる。
まっつんスタイル自身も、子供のころに何度言われたことか。
「お金がないんだから我慢しなさい」
ってこのセリフ。
「我慢しなさい」って、めっちゃ直球(笑)。
これ、なかなか身体の節々に残る・・・。
たしかに辛い記憶。
だから、
「子供にはそんな思いをさせたくない」
っていう気持ちは、たぶん相当によくわかる。
でも、だけど・・・。
この歳になって、思う。
「あの頃の俺が本当に欲しかったのって、なんやったんやろ?」
欲しいものを買ってもらうこと?
行きたい学校に行けること?
もちろん、それもあったと思う。
でも、もしかすると・・・。
「これが欲しい!」
「これがしたい!」
って、親の顔色を見ずに言えること
そっちの方が、ホンマは欲しかったんちゃうかな?
とね。
てなわけで、今日のネタ。
「独身のお前に何がわかる?」シリーズ。
小さなお子さんがいらっしゃる読者さん、イヤがらずに読んでね(笑)。
☆「選択肢」は、本当に多いほどいいのか?
もちろん、選択肢はあるに越したことはなかろう。
それは、なんとも幸福で豊かなこと。
逆に、
・お金がなくて進学できない
・学びたいことを学べない
・行きたい場所に行けない
・必要なものが買えない
・我慢するしかない・・・
これはなかなかに歯痒い。
可能性を閉ざされたように感じることになる。
でも、ここはちょっと冷静に。
「そもそも、選択肢が多ければ多いほど、人は幸せになれるってホンマか?」
うむ、これは一回疑ってみてもいいかもしれん。
というか、これまでの人生全体の体感として、どうもそれも違う気がするんやけどね。
選べることと、“納得して選べること”って、たぶん別もの。
医学部に行ける?
留学だってできる?
好きなように習い事ができる?
うん、実にすばらしい。
でも、どうやろ?
その背景に、
「どうやら、親がボロボロになりながら用意してくれた?」
「親が自分の人生を削って捻り出した?」
「なんか自分が負担になってない?」
「これ、失敗できひんやつ?」
そんな空気があったら?
それはもう自由っていうか、単なる重荷にならんかね?
親が望んだ「子供の選択肢」のはずが、「見えない義務」という名の呪いに・・・。
ここ、難しいところよね。
他人事ながら・・・。
☆子供なのに、家計の管理職?(笑)
ちょっと、自分の子供時代を振り返ってみる。
「お金がないんだから我慢しなさい」
これを何度も聞いているうちに、子供は何を覚えるんやろ?
欲しいものを諦めること?
それもそう。
でも、もしかすると、それ以前に、
「欲しい」と思うこと自体を、遠慮するようになる?
これ、あるんちゃうかなぁ。
何かを欲しがる前に、親の顔色を見る。
何かを頼む前に、家計を想像する。
何かに挑戦したくても、先に「どうせ無理やろ」って考える。
子供なのに、もう家計の管理職(笑)。
いやこれ、笑いごとじゃないんやけど・・・。
子供のころのまっつんスタイル。
お金がなかったことより、家の中に漂う「余裕のなさ」の方が鮮明に残ってるのよね。
「親って大変」
「親には心配かけられん」
「なんか人生ってしんどいもんらしい・・・」
そういう感覚。
すると、ちょっと変な話になる。
親は子供に選択肢を与えたい。
でも子供は、親の苦労を見て、選択肢を使うことに遠慮してしまう。
せっかく用意してもらった道やから、失敗できん。
親が喜ぶ方を選ばなあかん。
本当は別のことがしたいけど、言い出せん。
・・・あれ?
選択肢を増やすために頑張った結果、子供が自由に選べなくなってる?
これ、なんのための選択肢やったん?(笑)
ここで、まっつんスタイルは思う。
子供に必要なのって、選択肢の“数”だけじゃないんちゃうかな、と。
そうじゃなくて、
「安心して選択できること」
あるいは、その前段階として、
「これがしたい!」って、安心して言えること。
これもまた、立派な選択肢なんちゃうかなと。
☆親が疲れてる家の空気
子供ってたぶん、言葉以上に空気を読むよね?
親がいつも疲れてて、不機嫌で、ため息ついて。
夫婦仲も悪くて、家の中にいつも緊張感があって・・・。
子供はそういうの、身体で感じるもの。
ついでに、
「あなたのためよ」
なんていう、あんまり言われたくない言葉までかけられる。
で、たぶんこう思いはじめる。
「あれ? この空気、自分のせい?」
って。
こうなると、なかなかしんどい。
ここまで、半分以上は想像やけど、でもまっつんスタイルも、似たような経験がある。
で、わかってる。
親はそんなつもりじゃない。
子供のために頑張ってる。
でも、子供からすれば、親の疲弊そのものが、“人生の重さとして記憶に残る”ことが、どうしてもある気がする。
そして、ここでまた思うのよね。
親が自分を殺してまで稼ぐ。
子供の可能性を広げるために、自分の人生を後回しにする。
その気持ちは、めちゃくちゃ尊い。
でも、親がそうやって人生を削っている姿を、子供はどう受け取るんやろ?
「ありがとう!」
だけで済むんかな?
「大人になるって、こんなにしんどいんや・・・」
って、思うこともあるんちゃうか。
これ、親の努力を否定したいわけじゃなくて、努力が子供にどう届くかっていう話。
親が与えたかったものと、子供の心に残ったもの。
そこには、時々ズレが生まれるんかもしれんね。
☆夫婦仲がよければ、いい子が育つ?
これは昔からのまっつんスタイル持論。
「夫婦仲がよければ、いい子が育つ」
「いい子」ってなんやねん、って話やけど(笑)。
性格や能力は、“生まれ持ったもの”の影響もデカいやろし、家庭環境だけで人間性が決まるわけでもない。
でも、それでも、これまた思うのよね。
家が安心できる場所であること。
両親が笑ってること。
夫婦がちゃんと仲良くしていること。
子供にとってこれ、めちゃめちゃ大きいことなんじゃないかね。
たぶん両親の関係性って、子供が触れる“最初の世界のモデル”みたいなもんやん?
人は信じていいのか。
愛情とはどういうものなのか。
家庭とは安心できる場所なのか。
自分はここにいていいのか。
大人になるとはどういうことか。
こういう感覚は、言葉で教わるより先に、“家に漂う空気感”で覚える気がする。
で、ここで言いたいのは、夫婦は常に仲良く、笑顔でいなさいって話でもない。
そんなもん、無理やろ(笑)。
喧嘩もする。
疲れる日もある。
不機嫌な日だってある。
でも、そういう時も含めて、
「まぁ、この家は大丈夫やろ」
って子供が思えること。
親が自分の人生をちゃんと生きていること。
このことの方が、案外、子供の心を支えるんじゃないかと思うんやけどね。
これもまた、独身男の戯言?(笑)
☆「尊敬する人は両親」で、なにがあかんねん?
そうそう、昔、誰か学者さんだったか評論家さんだったかが、
「“尊敬する人は両親”なんて言ってるから、最近の若者はダメなんだ」
「もっと偉大な人物を目指せ」
的なことを言ってて、なんかめっちゃ腹が立った記憶がある(笑)。
「いや、別にええやん、親を尊敬したって!」
「なにがあかんねん?」
「ていうか、お前誰やねん?」
って(笑)。
偉人を尊敬するのはええ。
歴史に名を刻んだ人物に憧れるのもええ。
でも、「自分の親を尊敬できる」って、めちゃくちゃ尊いことなんじゃないん?
だって親って、生活の中で、欠点も弱点も、情けないとこも、全部見えるやん?(笑)
機嫌が悪い日もある。
だらしないところもある。
完璧じゃないところも、いくらでもある。
それでも、
「俺は自分の親を、尊敬してます」
って言えたら、それはもうめっちゃ幸福なことやん?
ここで、もう一つ思う。
そもそも、親を尊敬するって、どういうことなんやろ?
高収入だから?
立派な職業だから?
いい学校に行かせてくれたから?
それも尊敬の理由にはなるかもしれん。
でも、そんなことだけじゃないやろと。
欠点も知ってる。
情けないところも見てる。
たまにしょうもないこともやらかす(笑)。
それでも、
「あの人たち、なんか好きやな」
と思えること。
身近な人の不完全さを知ったうえで、それでも敬意を持てる。
これって、志がどうとか、そんなん関係ない。
人間としてめっちゃ豊かな感覚やと思う。
そういえば、昔、タレントのつるの剛士さんが、ご両親への尊敬を語ってた記憶があってね。
それを聞いたとき、妙に印象に残ったのよ。
実際の家庭のことは知らん。
でも、親を尊敬できるって、なんとも幸運なことやなぁと。
で、ここでもやっぱ思う。
親は、子供に尊敬されるために生きる必要すらないんちゃうかなって。
親が自分の人生を生きてて、子供がそれを見て、結果として敬意が育まれる。
それでええやん?
「子供のために、立派な親であらねば!」
って、そこまで背負わんでもさ(笑)。
☆遺伝もあるけど、空気もある
ここで少し、現実的な話もしてみる。
(とはいえ、まっつんスタイルの主観が混じるのは、致し方なし(笑))
それは、
「子供の性格や能力の、遺伝的な影響」
どれだけ親が頑張っても、子供は親の思い通りにはならない現実のこと。
明るい子もいる。
繊細な子もいる。
勉強が得意な子もいる。
身体を動かす方が好きな子もいる。
内向的な子もいれば、外向的な子もいる。
だから、親が100%コントロールできると思うのは、たぶん傲慢。
でも同時に、家庭の空気って、子供心に深く残るとも思う。
親の表情。
夫婦の会話。
家の温度。
怒鳴り声の有無。
笑い声の記憶。
ご飯の匂い。
何気ない安心感・・・。
こういうものって、子供の身体のどこかに沈んでいくものやって気がする。
子供は、大きな世界を直接見る前に、まず家庭という小さな世界を経験する。
だから思うに、親ができることって、子供の人生の幅をすべて設計することじゃなくて、
家庭において、
「大きな世界も、そこまで悪くないで〜」
って思える土台を渡すこと
なんちゃうかなと。
そして、その土台があれば、子供はいつか自分の意思で外の世界を選びにいける。
親が用意した選択肢だけじゃなく、自分で新しい選択肢を見つけることだってできる。
・・・あれ?
そう考えると、子供に与えるべき選択肢って、最初から全部用意しておくものでもないんかもしれんね。
これまたどうやろか?(笑)
☆選択肢を与えたいのは、誰のため?
さて、ここでもう一回、最初の言葉に戻る。
「子供に選択肢を与えたい」
うん。
やっぱり美しい言葉やと思う。
でも、この言葉には、もう一つ気になることがある。
それは、
「それ、ホンマに子供のため?」
ってこと。
例えば、親自身が子供の頃、お金で苦労したとする。
やりたいことを諦めた。
欲しいものを我慢した。
周囲の友達が羨ましかった。
だから、自分の子供には絶対に同じ思いをさせたくない。
これ、よくわかる。
まっつんスタイルだって、たぶん同じことを考える。
でも、もしかすると、その気持ちの中には、
「かつての自分を救いたい」
っていう思いも、少し混ざってたりするんちゃうかな?
自分が手に入れられなかったものを、子供には与えたい。
自分が選べなかった人生を、子供には選べるようにしてあげたい。
それは、愛情でもある。
でも、その子供自身は、何を望んでいるんやろか?
ここ、ちょっと立ち止まって考えてみてもいい気がする。
親が用意した選択肢。
親が与えたかった可能性。
親が叶えられなかった夢。
それらがいつの間にか、子供の「選ばなければならないもの」になっていたとしたら?
なんとも皮肉な話やんね。
選択肢を与えるはずが、選択を迫ってしまってる・・・。
これが、今回のタイトルにある、“呪い”の正体なんかもしれん。
☆子供に残るのは、お金だけじゃない
お金は大事。
これは間違いない。
綺麗事で済ませるつもりは、毛頭ない。
お金があれば避けられる苦労もある。
お金があれば広がる可能性もある。
お金がないことで傷つくことも、たしかにある。
でも、お金だけで子供が幸せになるわけでもない。
これもまた、間違いない。
親が自分の人生を楽しんでいること。
家に安心できる空気があること。
親自身が、自分の人生を粗末に扱っていないこと。
そういうものも、案外、深いところで子供の心に残るんじゃないやろかね。
あかん・・・、書きながら泣けてきた(笑)。
で、ここまで考えて、ようやく気づいた。
子供に与えられる選択肢には、二種類あるんかもしれんって。
一つは、「お金で用意できる選択肢」。
進学できる。
留学できる。
習い事ができる。
欲しいものが買える。
そして、もう一つ。
「安心感によって生まれる選択肢」。
「欲しい」って言っていい。
失敗してもいい。
親の期待とは違う道を選んでもいい。
自分の人生を楽しんでもいい。
これ、どっちも大事なんよね。
でも、前者を用意することに必死になるあまり、後者を失ってしまったら・・・。
ちょっと、もったいなくない?
☆結び
「子供に選択肢を与えたい」
その気持ちは、やっぱり美しいと思う。
お金がないことで、子供の可能性を閉ざしたくない。
自分と同じ思いをさせたくない。
その気持ちは、ホンマによくわかる。
でも、こないだふと思った、
「俺が子供の頃、本当に欲しかったのって、なんやったんやろ?」
っていう問い。
お金?
好きな習い事?
進学の自由?
うん、それもあったと思う。
でも、もしかすると、
「これがしたい!」
って、親の顔色を見ずに言えること。
そっちの方が、もっと欲しかったんかもしれん。
親が無理して用意してくれた百個の選択肢より、安心して「これが好き」と言える家の空気。
そういうものも、子供には残せるんちゃうかな。
だって、せっかく選択肢を用意したのに、子供が遠慮して選べへんかったら・・・。
なんのための選択肢やねん(笑)。
まっつんスタイルは独身子なし。
子育ての正解なんて、知る由もない。
ただ、かつて子供だったことだけは間違いない(笑)。
だから、子供だった自分の側から、こんなことを考えてみた。
「子供には選択肢を与えたい」
その言葉が、親自身を追い詰める呪いじゃなくて、子供が安心して自分の人生を選べる祈りになったらええ。
そんなことを思う、独身男 at スタバ・アリオ西新井店(笑)。


コメント