ラクになったのに、なぜか不安になるバグ 〜「あれ?いいんかな?」の正体〜


たま〜に、ふと思うことがあってさ。

昔みたいに、自分を責めなくなった。
他人と自分を比べて落ち込むことも減った。
過去を悔やむ呪いも、ほとんど聞こえなくなった。

心は、全体として、めちゃめちゃ軽い。

でも・・・。

ときどき、妙な違和感が、頭をもたげてくることがある。

「あれ?こんなにラクでええんかな?」
「もっとしんどい思いせんとあかんのちゃうの?」

って。

え〜・・・、なにこれ?(笑)


コーヒーを淹れてるとき、運転してるとき、湯船に浸かってるとき。

ふと内省モードに入る瞬間に湧いてくる感覚。

安心してるはずやのに、不安要素を探し出す。
平穏なはずやのに、まとわりついてくる罪悪感?に似た感情・・・。

これ、ちょっと怖いやろ?


でも最近になって、ようやく思うようになったのよ。

「あぁ、これ、脳のバグやな」って。


人間って不思議なもんで、長いこと“しんどい状態”で生きてると、それが「普通」になる。

「しんどい = デフォ」ってね。

自分を責める。
後悔を引こずる
才能の無さを呪う。
人と比べて嫉妬する。
未来の自分に絶望する・・・。

こういうマイナスの感情で心身に負荷をかけ続けると、神経がそれに慣れてしまう。

むしろ、

不安がある=その方が安全
苦しんでる=ちゃんと生きてる
自分を責めてる=人として成長してる

みたいな、歪んだルールが心の奥にインストールされる。

「苦しむことが、生き残るための最適解」って思いこむという、猛烈な誤作動やね。

だから、いざそれが消えると、脳は叫び出す。

「おい、なんか異常やぞ!?」
「警報が鳴ってないやないか?!」
「やたら落ち着いとる!おかしんちゃうか!」

ってね(笑)。

これが、

「もっと苦しまなあかん気がする・・・」
「こんな平穏でいいんか不安になる・・・」

の正体。

人間ってホンマにめどくさい生き物(笑)。


これ、たとえるなら、戦争帰りの兵士みたいなもんかもしれん。

長年、銃声と爆音の中で生きてきた人間が、いきなり静かな田舎町に放り出されたらどうなるか?

夜になっても眠れない。
ちょっとした物音で心臓が跳ねる。
平和な日常なのに、危険や不安を探し始める・・・。

「何かが起きるんじゃ?」
「この静けさ、なんかおかしい!」

ってな具合で。

でも実際は、ただ戦争が終わっただけ。

世界が壊れたんじゃなくて、神経がまだ戦場モードなだけ。

少し前のまっつんスタイルの心も、それに近かったんやと、今は思う。


これ実は、ZENの世界では有名な話。

修行や瞑想を始めて、心が静かになってくると、逆に不安や退屈、空虚感が出てくる。

「このままでええんか?」
「どうにも物足りん気がする」
「もっと何かせなあかんような?・・・」

これも全部、“問題がない状態”に、自我が耐えられないから起きる。

自我の燃料って、実は、悩みや葛藤やドラマやったりするのよね。

これらがないと、自我は存在できひんことがある。

だから、問題が消えると、なんとかして新しい問題を作り出そうとする。

「この平穏は危険の前兆や!」
「このラクさは堕落の証や!」

そうやって、果てしなく・・・。

まるで「エゴの居場所探し」(苦笑)。


でもそんなのおかしいって、今なら分かる。

今のまっつんスタイルは、堕落してるんちゃう。

逃げてるってのもちゃう。

ただ、「長かった戦争が終わっただけ」、ってね。

自分をひたすら責める日々。
才能や過去を呪う負のループ。
他人と比べて勝手に傷つく習慣・・・。

それが、やっと静かになった。

この静けさこそが、本来の“普通”であり“デフォ”。

この静けさに、神経がまだ慣れてないだけ。


だからこの、

「ラクになったはずやのに、なんか不安」
「心が軽いことに、どこか罪悪感がある」

って違和感は、悪いサインじゃない。

治りかけのサイン”

苦しみで自分を定義しなくてもいいフェーズに、どうやら入ったってこと。

これ、めっちゃいい兆候やと思う。


じゃあ最後に、モテエロZEN的に表現してみる。

「エロ(生命)は、苦しまなくてもちゃんと動く」。
「ZEN(静けさ)は、怠けでも逃げでもなく、“本来の状態”に戻っただけ」。


軽くなった自分を疑わなくていい。

むしろ、「ようやくここまで来たな」と。

そう自分を静かに労ってあげたらええだけなんやと思うね。

今のこの、“なんとも言えない平穏”こそ、たぶん、人生という長旅のひとつのゴールのはずやから☆


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