「これ以上なにを望む?」と思えた日の話 〜“今が満ちる”ことの大切さ〜


☆別になんてことない一日

朝、目覚めとともに、部屋にブラウンノイズを流す。

冷水シャワーで目を覚まし、コーヒーを淹れる。

少しだけSF小説を読んで、ブログ記事を一本書く。

朝食を食べて、前日の除雪作業の続きをこなす。

その後、買い出しとコインランドリーへ。

帰宅し、サラダチキンの仕込んでから昼食。

もう一本ブログを書いて、胸トレ。

夕食を済ませ、アロマキャンドルを焚いて湯船に浸かる。

ウイスキーのお湯割りとサバ缶をお共に、少しだけ映画を観る。

で、今、こうして3本目の記事を書いてる・・・。

今日はそんな一日。


・・・なんかね、お風呂に浸かりながら、ふと思ったのよ。

「・・・これ以上、なにを望む?」

ってね(笑)。


この言葉が自然と口から出たの、めちゃくちゃ大事なことなんちゃうかな。

これって、諦めでも停滞でもなくて、

今、この瞬間が、すでに十分に“足りている”っていう身体的な理解

そんな気がしたから。


いや、もちろん夢はある。

理想もある。

憧れの住まいも、欲しい車も、やってみたい仕事も、モテモテの日々も(笑)。

でも、それらが今なくても、

今日という一日は、もう十分に“満ちていた”

この感覚。

自分でもちょっと不思議で、めっちゃ心地がいい。


この話、

競争社会に疲れた人
成功論にうんざりしてる人
スピリチュアルは苦手やけど、心静かに生きたい人

そんな人にはめっちゃ刺さるはずやと思う。


☆不安が消えたわけじゃないけど、満ちてる

誤解のないように言っとくと、別に不安が無くなったってわけじゃない。

お金のことも、将来のことも、このブログがどうなっていくんかも、正直、全部「わからん」。

でも、それでも、今日一日はよかった。

この矛盾が、なんとも言えず貴重なことのような気がする。


たぶんほとんどの人は、こう思ってんのよね。

「不安が消えたら満たされる」
「状況が整ったら幸せになれる」
「理想を手に入れたら安心できる」・・・

でも、今日のまっつんスタイルは、その逆。

不安はある
別に何も整ったわけじゃない
それでも、今この瞬間、ちゃんと安心できて気持ちがいい

これ、めちゃくちゃ大事な体感やと思う。


☆人が本当に欲しいのは「夢」じゃない

欲しいのは、「夢」じゃなくて、「満たされた今日」

これたぶん、みんなそうなんちゃうかな?

「理想の人生」を欲しがってるつもりで、実際に欲しいのは、

安心して目を覚まし
ちゃんと身体を動かし
好きなものを味わい
何かを創造し
社会と関わり
心地いい疲労感とともに
ぐっすり眠れる一日

これだけ。


理想の家も、乗りたい車も、憧れの仕事も、たくさんのガールフレンドも(笑)、全部ウソじゃない。

でも、よくよく考えてみると、これらって、どれも「幸せの本体」じゃない。

“今日という一日が、気持ちよくなる確率を上げるためのオプション”なんよね。

今日がちょっと快適になる家や車
今日の時間がちょっと意味を持つ仕事
今日の夜がちょっとあたたまる愛しい恋人

どれも「今日」をちょっとだけ良くする“ボーナス”であって、「今日」そのものじゃない。

今日という一日がスカスカなら、どんなオプションを乗せても、やっぱり空虚。

逆に言うと、今日がちゃんと満ちていたら、オプションがなくても、もう十分やったりする。


☆じゃあ「今が満ちてる状態」ってなんやろ?

今日のまっつんスタイルは、たぶんこういう状態やった。

思い通りに身体が動いて
ちゃんと五感が開いて
好きなことをやれて
何かを創って
ちゃんと疲れて
ちゃんと回復した

それだけ。

特別なイベントもない
誰かに評価されたわけでもない
ブログのPVが増えたわけでもない(笑)

でも、

しっかりと生きた実感があった

そして、そのことに満足を感じられる感性が鋭敏だった

この感覚を掴めれば、“未来の不安”は、消えないままで、背景の一部か、ただのノイズになる。

不安はあるけど、それが主役じゃないっていう世界を作れる。


これ、仏教で言うなら、

安堵(あんど)
知足(ちそく)
無事(ぶじ)

っていう三つが揃った状態のことかもしれんな。

夢や理想が“消えた”んじゃなくて、「今を壊してまで欲しいものがなくなった」状態。

これ、「すでに十分」っていう、本当は誰もが求めてるはずの、「幸せ」の完成形。

こうなれれば最高やんね?


☆モテエロZEN的に言うなら

まっつんスタイルで言うなら、今日の状態は、

「エロ(生命力)」 = 書きたい、動きたい、鍛えたい、味わいたい
「ZEN(今)」 = 今、この瞬間をちゃんと感じてる

夢を追う「エロ」と、今を味わう「ZEN」が、同時に成立してた感じ。

この二つがズレるから、人ってしんどくなるんよね。

エロだけだと、未来に引き裂かれる。
ZENだけだと、停滞する。

でも、エロで動きながら、ZENで今を感じられると、人生は静かに強くなるもの。


これも仏教的に言っとくと、

欲があっても、執着がない状態

まさにモテエロZENのど真ん中。

エロ(生命力)は動いとるけど、ZEN(今)から離れてない。

だから苦しくなく、むしろ気持ちいい。


☆「自我」が少し静かになるということ

今日のまっつんスタイル、たぶん「自我」が、少しだけ静かやったんやとも思う。

「俺はどうなる?」
「俺はうまくいく?」
「俺は評価される?」

こういう声が、今日は小さかった。

その代わり、

「今日はよーやった」
「今、ちょっと気持ちええ」
「なんかこの時間、悪くないかも」

って、こういう声が大きかった。


これ、まっつんスタイル的に言うと、

“自我を平らげた状態

なんやと思う。

ここでさらに、“今”への意識レベルが高まったら、この先、きっと“怖いもの無し”になれる。


自我が消えるんじゃなくて、自我が主役じゃなくなり、“今”が主役になる。

「俺はどうなる?」より、「今、何が起きてる?」の方がデカくなる。

そうすると、

お金 → ただの数値
未来 → ただの可能性
評価 → ただの音

“人生の雑音ボリューム”が下がる(静かになる)。

そんなイメージかな。


☆「幸せは気づくもの」は真実

「夢や理想はあっていい」

「でも、今を壊してまで追う必要はない」

「今日をちゃんと満たせる人は、どんな未来が来たとしても、しっかりと立っていられる」

「今日は十分幸せやった」

そう気づけた一日。


「まだまだ!」、「もっともっと!」って生き方がハマる人がいることも知ってる。

でも多くの人は、どこかで「もう十分」って心の底から思いたがってるはず。

「価値観の転換」なんて安っぽい言葉は使いたくない。

でも、「今日に満足する感性」、「生きるための営み全てを大事にする意識」。

これらを、なんというか「磨くための鍛錬」は、なんらかの形で実践してみるべきやろうと思うね。

終わりのない競争に晒されてる現代人は特に。


「これ以上なにを望む?」

「あれ?、もう十分じゃね?」

そう、「幸せは気づくもの」。

明日も明後日も、きっとこれでええ☆


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