☆まっつんスタイル的「反復の哲学」
「技術習得のためには反復」
「凡人が人生を変えるには反復」
「習慣化したいなら反復」
なるほど、脳科学や心理学、自己啓発の界隈だと、反復の効能はもう耳タコでありタコ耳(笑)。
でも、このことは、まっつんスタイルも同感。
じゃあここで言う「反復」のイメージってどんなん?
多くの人が思ってる反復って、
・我慢と忍耐
・気合と根性
・意志力とストイックさ
このあたりがイメージされるかもしれんよね。
でも、今回の記事でまっつんスタイルが触れる反復は、ちょっと別物。
まっつんスタイル的・反復とは、
「自分を変えるために頑張る行為」というより、
「自分を理解し、「場所」と「流れ」を“馴染ませていく”プロセス」
って感じかな。
これが、まっつんスタイル哲学のポイント。
ほな、ここからもうちょい深く掘ってみる。
☆なぜ反復が“効く”のか?
① 反復は「説得」じゃなくて「上書き」
人って、
・正しいって分かっても変われない
・理解してても動けない
・始めてもなかなか続かない・・・
そんな生き物。
これ、「意志力が弱い」で片付ける話じゃなくてね。
頭では分かってても、脳と身体にとっては、まだそれが“普通”になってないだけなのよね。
だから反復する。
で、ここで大事な考え方。
反復は、「分かったか?」って自分を説得する作業じゃないってこと。
反復は、「これが普通なんやで〜?」って、静かに意識を上書きする作業って考える。
そうするとじわじわ効いてくる。
② 反復は「才能」を凌駕する
才能のある人は、何をやっても一発。
腹立つけど一発(笑)。
でも反復って、
・才能なくても効く
・センスなくても効く
・気分が乗らなくても効く
つまり反復は、親鸞さん的な世界線。
わかるかな?
ダメなやつにも効く。
別の言い方をするなら、「全人類に開かれた、民主的成長装置」みたいな?
これ、思想的には相当強い。
「反復できるのも才能やん?」なんてのは、白けるから今回は無しで(笑)。
③ 反復は「自我」を鎮める
これ、禅とも、まっつんスタイルとも直結する。
・やる気がある俺/ない俺
・ダメな俺/ダメじゃない俺
・できる俺/できない俺
反復は、こういう“自己評価の波”を無視して進むことができる。
「ただやるだけ」なんで、評価が入り込む必要がなくなるから。
すると、
「今日は何を感じてる? 何を思う? なんで? どうして? どうする?どうなる?・・・」
そんなことより、
「今日はやった?」
これだけになる。
わかるかな、この感じ(笑)。
だから反復には、結果として“自我が鎮まりやすい”側面があるってわけ。
これが、ラクで気持ちいい。
☆反復と「無我」の関係(“モテエロZEN”的核心)
じゃあさっきの「自我」について、もうちょい深掘ってみる。
「悟り」とか「無我」って、なんか特別な修行の末の特別な体験やと思われがち。
でも、まっつんスタイル的には、
「無我」は、反復の副産物
って思うのよね。
・毎日考えた
・毎日書いた
・毎日触れた
そのうち、
・「やらなきゃ」も
・「やりたい」も
・「評価」も
全部薄れて、“ただやってる状態”になる。
これがさっきも言った、自我が鎮まった、めちゃくちゃ気持ちいい状態。
☆反復=自我が静かになる「聖域」という感覚
じゃあ少し角度を変えて。
反復って、“騒がしい自我”が静かになる「聖域」みたいなもの
これはまっつんスタイル的・独自表現。
我ながら的確やと思う(笑)。
反復って、直接的に、
・気分を上げるため
・モチベーションを保つため
・成果を出すため
なんかにやるもんやと思われがちやけど、本質はそうじゃないと思うのよね。
反復は、「考えなくていい場所」を作る行為
その結果として、心が安定したり、集中力が高まったり、技術の向上が成ったりするわけ。
伝わるかな?
で、ここまで読んで、「なんかしんどい話やなぁ・・・」って感じたとしたら、どうか安心してほしい。
反復は、別に頑張る話じゃないから(笑)。
ほな、一回肩の力を抜いて、後半へ。
☆反復は、正しい「ライフストリーム」
まっつんスタイル的・独自表現をもう一つ。
反復は、正しい「ライフストリーム」になる
・流れに入る
・流れに身を委ねる
・流れが勝手に運んでくれる
この状態を作ることやと思う。
だから、最終的には、
・意志力を使わない
・自己否定が起きにくい
・未来への不安が薄まる
つまり、生きるコストが下がる、みたいなイメージかな。
これは、いわゆる「悟りっぽい体験」なのかもしれん。
ただ、もう少し別の言い方をすると、この反復という名の「ライフストリーム」構築は、
かなりプリミティブな生存技術
やとも思うよね。
☆禅宗の大本山「永平寺」と、映画『パーフェクト・デイズ』
ここで具体的な事例を。
☆永平寺の修行
・掃除
・食事
・坐禅
・読経
・作務
禅宗の大本山永平寺では、これらをただひたすら繰り返す。
来る日も来る日も・・・。
どれも厳格なのに単調で、いわゆる“成果”みたいなものが見えにくい。
まっつんスタイル的に見ると、その反復には、
「自己評価の回路を静かにする」
そんな働きがあるように思うのよね。
考えなくても身体が動くところまで落とす。
すると何が起こるのか?
・「俺はできてる? 成長してる?」
・「これって正しいの? 意味あるの?」
こういう“自我のノイズ”が消えていく。
☆『パーフェクト・デイズ』の主人公・平山
あれも完全に「反復の人」。
それはもう気持ちいいほど「反復の人」(笑)。
・同じ時間に起き
・同じように空を見上げ
・同じ仕事をし
・同じように音楽を聴き
・同じ時間に眠る
でも彼は、決して退屈そうじゃない。
むしろ異様に満ちてるようにすら見える。
あの映画を観て、平山の暮らしを「なんか羨ましい」と感じた人も多いんちゃうかな。
それってなぜか?
それは、
人生を“評価する”という視点を、ルーティンの外に置いてるから
まっつんスタイルにはそう見える。
☆反復が人生を“救う”瞬間
反復が効くのは、
・元気な時
・ノってる時
・調子のいい時
じゃなくて、実は、
・迷ってるとき
・自信の無くなったとき
・人生が宙ぶらりんのとき
なんよね。
なぜなら反復は、
心がどうであっても、人生の方向が定まってなくても、とりあえず立ち止まらせない
そういう“装置”やと思うから。
「反復が効く」の、まっつんスタイル的・核心って、まさにこれ。
あえてフレーズにするなら、
「反復は、未来を信じる行為というより、“今日の自分を見捨てない技術”」
これ、ブログにも、筋トレにも、モテにも、人生をRE:スタイルにも、全部に効く。
☆まっつんスタイル的「反復の哲学」まとめ
☆人生のベースはルーティン(反復)
気持ちよく生きたいなら、ベースとなるルーティンを構築すること
これは、まっつんスタイルの“モテエロZEN”的にも、思想哲学的としても、めちゃくちゃ強い。
例えば、
・筋トレ → 身体の反復
・腸活 → 内側の反復
・ブログ → 思考の反復
全部に共通してるのは、
「自分を鼓舞しない」
「自分を責めない」
「ただルーティンの中に入る」
これがある人は、人生が多少荒れても折れにくい。
☆反復は「最短ルート」じゃないけど
反復なんて、最初はめんどくさい。
現代の「タイパ・コスパ至上主義」の中では、非効率で無意味にすら思える。
「他にイイやり方があるんじゃね?」ってなりがち。
でも実際はそうじゃない。
反復は、“最も確実な悟りの道”
って言っていいと、まっつんスタイルは思う。
たしかに、
・派手じゃない
・速くない
・映えない(笑)
でも、いちばん裏切らない。
そして、気持ちいい(ここ重要)。
苦行による“やってる感”でもなく、努力による自己陶酔でもない。
“静かな快”。
☆反復は、「戻ってくる場所」という感覚
人生は、どうしたってブレる。
腹が立つことも、理不尽なことも、容赦なく起こる。
「これでいける!」って思った翌日に、「やっぱアカンかも・・・」ってなることなんてざら。
人間やから、しゃあない。
問題は、そんなときに“戻る場所がない”ってこと。
だから逆に、
“戻って来られる場所がある”っていう感覚が、実はめちゃくちゃ強い
その場所こそが、“反復ルーティンの世界”。
筋トレもそう。
腸活もそう。
ブログも、きっとそう。
なにがあっても
「まぁええか。また明日、戻って来たらええやん」
そう思える鉄壁のルーティンがあれば、心がどんなにブレても大丈夫。
反復哲学のベースがあれば、人生は案外、折れへん。
反復は、人生の「聖域」☆


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