「素人の自分語りはつまらない」
「ていうか誰が読むねん?」
「やめとけ」
このへん、ブログ界隈では、わりとよく言われる言葉やね。
まぁたしかにその通り。
・今日あった出来事を淡々と書いただけ
・思ったことをなんとなく並べただけ
・オチもなけりゃ視点のズレもない・・・
うん、これではねぇ、なかなかしんどい(笑)。
でも一方で、
「じゃあ無名の個人がブログを書いたらあかんのかぇ?」
って聞かれたら、俺は全力で首を横に振る。
それは二つの意味でね。
一つは、誰にも読まれないつまんないブログでも、自分が好きなら、楽しいなら、大いに書いたらええ、って意味。
二つは、無名の一個人でも、書き方の工夫次第で読まれる文章は書けるから、大いに書いたらええ、って意味。
これは断言できる。
誰でも、おもしろエピソードも、独特な価値観も、語るに足る体験も、必ず持ってる
問題は「素材」じゃなくて書き方。
あと、読み手との距離感やな。
そもそも、なんで「素人の自分語り」って嫌われるんやろか?
これ、理由はシンプルで、「読者の人生に何も起きひんから」なんやと思う。
読み終わっても、
「うん・・・、で?(苦笑)」
ってなる。
これ別に悪意はなくて、正直な感想。
ただ単に、「読者の感情も視点も、一ミリも動かん」ってことなのよね。
「おぉ!」っていう驚きもなけりゃ、「へぇ〜!」っていう感動もない。
新しい知見との出会いもないし、思いもしなかったような気づきもない。
これが「つまらない」の正体。
じゃあ逆に、なんで無名の素人でも「なぜか読めてしまう文章」があるんやろか?
それは、その文章が、「自分の話をしているようで、実は読者の話をしているから」やと思うねんな。
刺さるエッセイって、
「俺がこうだった!」
を語ってるようで、実はそうじゃない。
読めてしまう文章は、読者の中にある、
「それ、わかるわ〜!」
を引き出してる。
書き手が主役じゃない。
あくまで“読み手の感情が主役”ってスタンス。
ここで一つ大事な、まっつんスタイル的お作法。
ブログで語るべきは、自分の人生そのものじゃなくて、自分の人生を通して見えた“構造”や“視点”
出来事は素材で、感情は入口。
本体は、その奥にある「気づき」なんよね。
例えば、
「今日は〇〇があって、ホンマ最悪やったわ・・・」
これだけやと、ただの日記。
残念ながら、「知らんやん」で終了(笑)。
でも一歩引いて、
「人って〇〇な時ほど、なんか知らんけど自分を責めてまうよね?」
「〇〇な時って、なぜか××な感情が湧いてくるから不思議よね?」
って、こう書くだけで、話は一気に“共有可能な領域”に入る。
出来事 → 視点
感情 → 構造
この変換ができるかどうかで、つまんない自分語りか、読ませるエッセイかが分かれる。
そういうことやと思う。
あと、もう一つ大事なこと。
それは、
処方箋を提供するってこと。でもその処方箋は、必ずしも正解である必要はないってこと
「こうすれば解決や!」
「これが答えじゃい!」
そんなんは、別にいらん。
ここでも大事なんは、読み手の感情と、表現方法の工夫。
むしろ、
「俺はこう考えたら、少し心がラクになったよ」
「こういう見方に変えたら、ちょっとだけ世界が変わった気がする」
これくらいの温度感でちょうどいい。
読者が欲しいのは、「解答」じゃなくて「回答」ってことがある。
答えを押し付けられたいんじゃなくて、“自分でラクになる余白”が欲しいだけやったりするから。
だから、素人の自分語りも書き方次第。
失敗談も、遠回りも、拗らせた話も、黒歴史は全部、ちゃんと価値になる。
無名の個人ブログで、「すごい話を書かなあかん」とか、別にないから。
キラキラした人生とか、派手な成功体験とか、そんなもん胃もたれするだけ。
必要なのは、
自分の感情を、ちゃんと立ち止まって観察して、丁寧に言葉にし直すこと
それだけで、素人でも、しっかり刺さる個人ブログは書ける。
最後に、まっつんスタイルより。
自分の感性を信じよう!そしてブログを書こう!
大勢に刺さらんくてもいい。
誰か一人に刺されば、それで十分。
しかも、書けば書くほど、自分自身の心も整っていく。
これも個人ブログの魅力。
書き方次第で、個人ブログはまだまだおもしろくなるから。
「自分は何者でもない」とか、そんなことは気にせんでよし。
問題は、どの距離感で、どの角度で自分を語るかってこと。
それだけやからさ☆


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