仏教動物園⑦|鳥(トリ) 〜執着しない自由と、今日を生きる知恵〜


☆なぜ鳥は、軽やかに見えるのか?

鳥はいい。

地面に縛られず、飛び、去り、またフワリと来る。

軽やかで自由、安全で快適(笑)。

ちょこちょこ跳ね回る鳥も、悠然と羽ばたく鳥も。

あの姿を見ていると、まぁ羨ましい(笑)。

人間なら誰もが一度は憧れる存在。


じゃあ、仏教においての鳥はというと、それは、“執着しない生き方”の象徴として語られてきたのよね。

もちろん、投げやりな無責任さなんかとは違う。

むしろ逆。

鳥の軽さは、“背負わないと決めた覚悟”から生まれている。

仏教の世界ではそのように考えられてきた。

こんなふうに言われると、鳥に対する意識が、また違うものに変わりそうな気がするよね?


☆出典|鳥の譬えが語るもの

初期仏教の経典には、鳥を引き合いに出した比喩がいくつも登場する。

  • 鳥は巣に執着しない
  • 餌を得ても溜め込まない
  • 飛び立った痕跡を残さない

鳥は空を行き、跡を残さない

この譬え(たとえ)が示すのは、まさに“過去に縛られない在り方”そのもの。

人は往々にして、成功も失敗も、後悔も誇りも、ぜーんぶ背負おうとするもの。

でも鳥は、空を渡ったことを振り返らない。

ただ、次の瞬間を生きてる。

いいよね。

いかにも仏教の世界観を体現してる存在。


☆仏教的な意味|自由とは「軽さ」

仏教における自由ってのは、

  • 何でもできること
  • どこへでも行けること

とかって、そんな単純なものじゃなくてね。

仏教における自由は、

何にも引っ張られないこと

鳥をメタファーとしてみると、こんなふうに言うことができると思う。


鳥は、荷物を持たない。

義務も、期待も、見栄も、背負わない。

その結果として、飛べているだけって考える。

自由って、力じゃなくて、軽さの問題

そんなふうな視点で、人間(自分自身)に当てはめてみたらどやろか?


☆なぜ「空」なのか?

鳥が生きてる場所は、地じゃなくて「空」。

空は、

  • つかめない
  • 固定できない
  • 所有できない

だからこそ、鳥はそこを選ぶ。

これ、気づいたかもしらんけど、仏教で語られる「空(くう)」も、同じ性質を持ってるよね。

「空」とは、“無”であり、同時に、あらゆる可能性の場と考える。

鳥は、その不確かさの中で生きることを、恐れない。

そう考えると、鳥が仏さまのようにも思えてくる。


☆生き物としての鳥

じゃあ生き物としての鳥は?

これがとっても合理的。

  • 毎日、必要な分だけ食べる
  • 同じ場所に固執しない
  • 危険を感じたら、すぐに飛び立つ

軽い者ほど、生存率が高い

これ、意外と自然界の現実。

鳥は、溜め込まないからこそ、いつでも軽やかに逃げられる(笑)。


☆まっつんスタイル語訳|鳥とは何か?

そして、「鳥」を、まっつんスタイルで翻訳する。

  • 過去を引きずるな
  • 先の不安を溜め込むな
  • 今日をちゃんと生きろ
  • 所有に執着するな
  • 荷物は手放せ

さしずめこんな感じかな。

軽くなれば、飛べる。

これは陳腐な精神論じゃなくてね。

世界の、人間という生き物の構造の話。

まっつんスタイルはこう訳す。


☆エロモテZEN的・現代解釈

重い男は、過去を語りすぎる。

  • 昔の武勇伝
  • 失敗の言い訳
  • 未来への不安・・・

これらは、無意識の“お荷物”。

聞いてて重い。

「知らんがな」としか言いようがない(笑)。


じゃあ“鳥的な男”はというと?

  • 今の自分で立ってる
  • 去るときはサラリと去れる
  • 執着を匂わせない

なんとなく爽やかで気持ちいい。

この身軽さが、不思議な魅力として漂うんやと思う。


☆小さな実践|今日の鳥

さてさて、今日できる“鳥”。

それは、とにかく身軽になることを意識してみること。

同時に、“今”を意識してみること。

  • 余計な予定を一つ消す
  • 過去の話を一つ手放す
  • 今日の空を見上げる

飛ぶ準備は、いつでもできる

自分が大事だと思ってるものを一回手放してみる。

そのとき、思いがけない体感が味わえるかも。


☆今日は鳥になってみよう

自由は、あれもこれも手に入れたあと、その遥か先にあるもんじゃなくてね。

意外と、そっと荷物を置いた身近な場所に、もうすでにあったりする。


というわけで、今日は、鳥になろう。

手放せば、いつでもどこでも飛べる☆


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