☆なぜ蛇は、嫌われるのか?
蛇って、だいたい嫌われるよね。
道で見かけたら、
「うぇ・・・」
ってなるやつ(笑)。
なんか不快感がすごい。
・細い
・冷たそう
・這う、グネる
・ヌメッとる
・毒がある・・・
物語の世界でも、現実の世界でも、
蛇が正しく綺麗な文脈で使われることってあんまない気がする。
☆
じゃあ仏教の世界においてはどうかというと、
仏教の蛇は、単純な「悪」の象徴じゃなかったりする。
ときに「危険なもの」として現れ、
ときに「煩悩を脱ぎ捨てる比喩」として現れ、
ときには「仏法を守る存在」としてすら現れる。
なんとも一筋縄ではいかない生き物(笑)。
☆
それでも嫌われるのはなぜか?
たぶんその存在が、
“あまりに生々しくて、正直”
だから(笑)。
☆出典|蛇はどこに出てくるのか?
仏教において「蛇」は、寓話や譬え(たとえ)として頻繁に登場する。
とくに有名なのが、
・三毒を表す図像の中で、「瞋=怒り・憎しみ」を表す蛇
・教えの扱い方を、蛇の捕まえ方になぞらえた「蛇喩」
・古い皮を脱ぐように煩悩を捨てよ、と説く**『スッタニパータ』の「蛇の章」**
ちなみに「三毒(貪・瞋・痴)」というのは、
・「貪」:むさぼり求める欲望
・「瞋」:怒りや憎しみ
・「痴」:物事を正しく理解できない愚かさ(無知・無明)
のこと。
☆
蛇は、扱いを誤れば噛まれる。
仏教そのものも、つかみ方を間違えれば噛まれる。
毒があるから、結構シャレにならん(笑)。
でも正しく扱えば、そんなに危険じゃない。
仏教の世界ではそんな存在。
☆仏教的な意味|まっつんスタイルには、蛇が「執着」にも見える
さて、ここからはちょっと、まっつんスタイル的な連想。
仏教において、
「蛇 = 執着」
と決まってるわけじゃない。
でも、蛇のあの姿を見てると、どうしても“執着”を重ねたくなる(笑)。
・いつまでも離れない
・何度も思い出す
・手放したつもりで、また絡みつく・・・
まぁわかりやすいとこで言えば、
「フラれたあの子が忘れられない・・・」
的な?
まさに“蛇のように不快な”しつこさ(笑)
☆
もちろん仏教では、執着は「苦」を生み出す大きな原因として警戒される。
ただ、
「執着する自分なんて最低や!」
と、さらに自分を責めればいいわけでもない。
まずは、
「あ、絡まれとるな」
と気づく(笑)。
まっつんスタイル的には、そこからでいいと思う。
☆なぜ蛇は「脱皮」するのか?
あと、蛇を象徴するものとして、
“脱皮”
があるよね。
古い皮を捨てて、
形は変えずに、
その先へ進む。
もちろんこれは、
「蛇の脱皮そのものに仏教がそういう意味を与えている」
っていう話じゃなく、
まっつんスタイル的に眺めると、
“自分を否定せずに変わる”
っていうメタファーに見えるって話。
☆
脱皮は、人間に置き換えると、かなり前向き。
断ち切るんじゃない
“脱ぐ”だけ
蛇の皮だけ転がってるのを見ると、これまた、
「うぇ・・・」
ってなるけど(笑)。
でもその意味合いを考えると、実はめっちゃポジティブで、
どこか“神聖”ですらある。
☆生き物としての蛇(軽く)
蛇は、基本的には人間との接触を避ける。
こちらが不用意に近づいたり、触ろうとしたりすれば、防御として噛むことがある。
「近づきすぎなければ、向こうもだいたい放っといてくれる」
・・・なんかこれ、「執着との付き合い方」に似てる(笑)。
蛇は、追いかけるほど巻き付いてくる
・・・そんなイメージまで湧いてくる(笑)
あのウネウネ這い回る曲線の不気味さ。
蜷局(とぐろ)、
絡まり、
ポイズン、
睨み、
丸呑み・・・(笑)。
こういう姿を見てると、まっつんスタイルにはどうしても「執着」が重なる(笑)。
☆まっつんスタイル語訳|蛇とは何か?
蛇を、まっつんスタイルで翻訳すると、こうなる。
・欲や執着が湧いたこと自体で、自分を責めない
・かといって、絡まれたままにもしない
・近づきすぎない
・無闇に手を出さない
・観察する
誰の心にも、欲や執着はある。
それを蛇に重ねてみると、なんとなく付き合い方が見えてくる。
必要以上に苦しめられないためにできることは、
“距離を取ること”。
この「距離」が、すべて。
☆
まっつんスタイル的に、蛇は、
距離をとって観察する対象
☆エロモテZEN的・現代解釈
さて、ここは完全に、
まっつんスタイルが蛇から勝手に連想した話(笑)。
☆
エロと欲は、切っても切れない。
誰かに惹かれる。
欲しいと思う。
触れたいと思う。
そういう欲そのものは、ごく自然なもの。
でも、
欲が「手放せない」に変わった瞬間、執着になる。
すると途端に、重くなる。
☆
だから、まっつんスタイル的な、
“蛇的な色気”
とは、
欲はある。
でも、欲に着られてない。
絡みつかない。
絡まれない。
必要なら、古い皮を脱げる。
欲との距離感を保てる男は、エロい
欲を持ちながら、それに巻き付かれていない男は、モテる
☆
そして“脱皮”。
これまた、まっつんスタイル的に眺めれば、
“進化と可能性”
“生命の躍動”
のメタファーにも見えてくる。
だから、
脱皮を繰り返す男は、エロい
そして、たぶんモテる(笑)。
☆小さな実践|蛇に噛まれないコツ
執着は、人の判断や行動を狂わせる。
じゃあどうする?
ここでも仏教の基本姿勢を崩さないことが大切。
・欲が湧いても、否定せず、ただ観察する
・焦らない、慌てない、拙速にならない
・執着が絡みついてきたら、「蛇がおるな(笑)」くらいに眺めて、一段階距離を取る
蛇も、執着も、近づき方が大事
距離を取って眺めれば、むしろ魅惑の存在?
☆
そして、まっつんスタイル的には、
蛇に「執着」を重ねると同時に、“再生”も重ねてみたい。
執着に巻き付かれっぱなしになるんじゃなく、
必要なときには古いものを脱いでいく。
そんな付き合い方ができれば、人もまた少しずつ変わっていける。
脱皮(進化と再生)は、夜中に静かに起きる・・・
コツというか、考え方のバリエーションやね。
知っとくと、あの不気味だった蛇が愛おしくなってくるかも(笑)。
☆今日は蛇のエロさがいい
蛇は、仏教の中で一つの意味だけを背負った動物じゃない。
怒りにもなり、
危険にもなり、
教えの扱い方を示す比喩にもなり、
古い皮を脱ぎ捨てる姿にもなる。
そして、まっつんスタイルには、
あの絡みつく姿が「執着」にも見える。
近づきすぎれば絡まれる。
扱いを間違えれば噛まれる。
だから、距離を取って観察する。
☆
そして、脱皮する蛇の姿には、“再生”も重なる。
古い皮を脱ぎながら、それでも蛇は蛇のまま進んでいく。
蛇を殺す必要はない。
欲も、
執着も、
怒りも、
「こんなもの持っちゃダメだ」と否定する必要はない。
ただ、絡まれすぎない。
噛まれない距離を取る。
そして古くなったものは、
蛇みたいに、するっと脱ぐ。
それくらいでいいんちゃうかなと。
だから、
付き合う、
飼い慣らす、
最後脱ぐ(笑)。
「蛇みたいに絡みつくものから、蛇みたいに脱いでいく」
☆
そこまで忌み嫌うことはない。
今日はあえて、蛇はエロさをまとってみる☆


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