☆心が軽くなる“仙厓語録”
まっつんスタイルが敬愛する禅僧・仙厓さん。
実は仙厓さん、心がふっと軽くなる逸話をたくさん残してはる。
これがまたおもろい。
今日はそんな逸話、というか問答をいくつか“まっつんスタイル風・超意訳”で紹介してみようかなと。
一応前提。
- 今回紹介する話は、どれも仙厓さんのエピソードとして広く語られてる、けど
- 史料的に「逐語で確定」とまでは言えん(禅僧“あるある”の口伝・逸話って可能性も)
- でも、思想的には100%仙厓さんの身体感覚と一致してる(と、まっつんスタイルは解釈してる)
つまり、「事実かどうか」より「誰のどんな精神か」ってことね。
で、まっつんスタイル的には、どれも完全に仙厓さん案件(笑)。
☆「貧乏神が囲んどる家」の話
新築の家を見て誰かが、「なんか縁起が悪いんちゃう?」とかなんとか言い出す。
そこで仙厓さんが一言。
「うん、たしかにこの家は、貧乏神が囲んどる」
一同ざわつく。
「え?、マジで!?」
すると仙厓さん、
「家の周りに貧乏神がおるやん?
そしたら家の中の七福神は外に出られんやろ?
それってめっちゃええことやん?(笑)」
この話、いい感じにヤバくない?(笑)
- 普通の人
→ 貧乏神 = 悪 - 仙厓さん
→ 配置で価値を反転させる
つまり、
【不幸を排除すな】【不幸を“使え”】【“囲え”】【“固定しろ”】【“飼い慣らせ”】【“逆利用せよ”】【“逃がすな”】【“追い出すな”】【“意味づけすな”】【“笑え”】【“生かせ”】【“共存せよ”】【“もう十分やん”】【“きゃふん”】【“◯△□”】【“よっしゃ”】【“掛け軸にしよ(笑))”】【“以上終了”】【“じゃ解散”】【“よし飲も”】【“笑お”】【“はい終わり”】【“縁”】【“無”】【“空”】【“ドン”】【“バン”】【“完”】【“はい次”】【“え?”】【“どーでもええ”】【“これが禅”】【わからん?】【“いやわかるやろ?”】【“まぁわからんでもええけど”】【“ほなまた”】【“きゃふん”】【“(転ぶ)”】・・・
・・・っていう思考回路なのよ、きっと。
わかる(笑)。
☆「この家では、爺さんが死んで〜」の話
家相や縁起を気にする人に向かって、仙厓さんが言う。
「この家ではな、爺さんが死んで、親父さんが死んで、息子が死んで、孫が死ぬ」
一同、凍る。
「え?、ちょっと待って、なにそれ!?」
すると仙厓さん、サラリと。
「家族が、年齢順に死んでいくってことやん?
これ以上ない幸福やん?(笑)」
この話も良くない?
核心はここ。
- 普通の人は
→ 「死 = 不幸」と短絡する - 仙厓さんは
→ 「順序がある死 = この上なく穏やか」
これは禅的っていうより、生物としての冷静な観察眼やね。
- 不条理な早死に
- 逆転する世代
- 残された者の悲哀
このへん全部ひっくるめて、
「当たり前のことが当たり前に起きるって、実は奇跡なんじゃね?」
そう言ってる。
どう?
☆この2つの話に共通してる“仙厓エンジン”
① 価値をひっくり返さない
→ というか、置き直す
善悪・吉凶・幸不幸を反対にする“発想の転換”ってのもおもしろい。
けど仙厓さんは、
「そのまま置いて、別の角度から見る」
「◯△□」と同じかも。
② 説教しない
→ 一発ギャグ?で終わらせる
- 小難しい論理展開はしない
- 偉そうな教訓を垂れない
- 無理に感動させない
「え?」で止まらせる。
この余白が、“我”の暴走に対する“抑止力”になるわけよね。
③ 生と死を分けない
- 生 = めでたい
- 死 = 縁起悪い
この分断を、笑いで溶かす。
物事の境界を取り払うのが、禅の(仏教の)奥義やからね。
だから仙厓さんの逸話は、いつも少しブラックで、それでいて後味が軽い。
☆まっつんスタイルと相性がいい
自分で言う(笑)。
まっつんスタイルのスタイル↓
- 結論がキレイすぎる物語に違和感
- 勧善懲悪より、ズレ・余白・不条理
- 正しさより、配置の妙
- 小難しい説明より、態度や沈黙
- 安っぽい感動より、笑いや思索・・・
これ、仙厓さんの思想と完全に一致してると思うのよね、我ながら(笑)。
だから、
「仙厓さん、俺の前世ちゃうか?」
なんて思うのは、半分冗談で、半分本気(笑)。
☆まだまだある、仙厓さん小ネタ集
☆「仏とは?」と聞かれて描いた絵
弟子か誰かが仙厓さんに聞く。
「仏とは一体なんなのでしょうか?」
仙厓さん、答えずに犬みたいな謎の生き物の絵を描いて、その横に一言。
「これや」
説明なし(笑)。
→「定義を求めた瞬間に、もうズレとんねん!」
そんな無言のカウンター。
☆「悟りとは?」 →「◯」を描いて終わり
これも定番ネタ。
「悟りとはなんですか?」
仙厓さん、ただの“丸”を一個描く。
・・・以上。
弟子、涙目(笑)
→「これ以上、何を足すねん?、え?(笑)」
という強制終了ボタン。
☆「修行が足りません」と落ち込む弟子に
弟子が言う。
「自分はまだまだ修行が足りません・・・」
仙厓さん、
「そら足りんやろ。足りてたら、こんなとこ来とらん」
慰めでも叱責でもなく、事実を置いただけ(笑)。
→啓発効果ゼロ、モチベ的煽り感ゼロ
でも、ZEN的には満点。
だって禅ってそうやん?(笑)
☆禅画にありがたい解釈を始める人に対して
誰かが仙厓さんの画を見て、深読みを始める。
「この画はつまり、◯◯を象徴しているのであって・・・」
仙厓さん、
「うん、まぁそう思うなら、それでえんちゃう」
終わり(笑)。
→解釈を否定しない代わりに、価値も与えない。
この思考法、実はめちゃ強い。
全肯定思考の原型。
☆「地獄とは?」と聞かれて
「地獄とはなんでしょうか?」
仙厓さん、しばらく黙ってから、
「ん〜、今ちゃう?」
以上。
これまた説明なし(笑)。
→でもこれ、説教でも脅しでもない。
“今を地獄にする心”をそのまま返してる。
これ・・・ついて来れる?(笑)
☆「極楽はどこにありますか?」
これもセットで語られるネタやね。
「では、極楽は?」
仙厓さん曰く、
「うん、それも今ちゃう?(笑)」
同じ答え。
→善悪も、生死も、場所を聞いた時点で救いからズレる。
「どーでもよくね?」
こういう示し方が仙厓流。
☆酒を飲みながら描いた禅画について
仙厓さん、坊主のくせに酒飲みながら絵を描くことも多かった(笑)。
ある時、誰かがそのことを咎める。
「僧がお酒を飲んでもよろしいのですか?」
それを聞いて仙厓さん、
「え?、酒がなかったら、こんな絵、描けんやろ?」
→禁欲じゃなく、現実との折り合いが優先。
最高の破戒坊主(笑)。
☆「ありがたく思え」とは言わない
仙厓さんの画や言葉をもらった人が、
「ありがたいです」
と言うと、仙厓さんはよく
「ありがたがったらあかんやん」
と言ったらしい。
→ありがたがった瞬間に、それはもう“モノ”になる。
とにかく、“意味からの解放”が禅思考。
☆ 仙厓さんの基本スタンス(まっつんスタイル的・超要約)
以上、仙厓さん語録を全部貫いてるのは、端的にこれ↓
- 教えない
- 導かない
- 感動させない
- 救わない
- 正解を与えない
でも、
- 置く
- ズラす
- 笑う
- 転ぶ
- 「きゃふん」(笑)
禅(仏教思想)を少しでも勉強してたら、「仙厓さん、深いなぁ」ってなるやつばっかり。
☆ついでに、まっつんスタイル的・翻訳(意外と重要)
きっと仙厓さんが言ってることは、全部まとめるとこれだけ↓
「真面目に生きたらあかん(笑)。でもな、雑に生きてもあかんのやで」
これ、まっつんスタイル的・モテエロZENにも、ブログにも、人生観にも、全部そのまま刺さるんよね。
☆ついでのついでに、まっつんスタイル・オリジナル語訳
- 「◯△□」=「もう十分やん。考えすぎたらあかん」
- 「きゃふん」=「ダサくてもええやん。カッコつけんなよ」
- 「それでえんちゃう」=「正解探しをやめなはれ」
- 「今ちゃう?」=「逃げ場はあれへん。だからこそ自由なんや」
- 「ありがたがったらあかん」=「依存すな」
意外と的確でしょ?(笑)
☆仙厓さんに学ぶ、モテエロZEN的人生訓
- 見せすぎない
→(余白こそが色気) - 説明しない
→(沈黙が強さの証) - 正しさを振りかざさない
→(配置の転換で語るセンス) - 笑いを残す
→(力が抜けるユーモア) - 名乗らない
→(無駄に競わない余裕)
Re:真面目に生きたらあかん。でも、雑に生きてもあかん。
モテたきゃ仙厓さんに学べ、ってね(笑)。
生きていくのに、“推進力”の物語も必要。
でも、立ち止まらせる“抑止力”も同じくらい必要なのよね。
で、仙厓さんは、後者を“笑い”で引き受けた。
“悟り”なんて、実は高みにはなくて。
転んだ拍子に「きゃふん」と出る、そんな瞬間にあったりする(笑)☆


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