今日は「孤独」の話でもしてみようかな。
と言っても、
恋人いないとか、
友達がいないとか、
一日誰とも話さないとか、
そういう話じゃない。
まぁそういう時期があったこともあるけど(笑)。
というか、もうちょいセンシティブな話。
友達も、仕事仲間もおる。
雑談も、世間話もできる。
飲みに行けば、それなりに盛り上がる。
笑う時は、一緒に笑う。
でも、心のどこかでずっと思ってまうことがあってね。
「なんか、本音で話しできる相手って、おらんよなぁ」
って、そんな感覚。
俺がしたい深い話ができる相手に出会ったことない。
話してて楽な相手はいても、気持ちいい相手はいない。
わかるかしら?
まっつんスタイルは、昔っから、割とこれがある。
今日は、この話を軽く掘ってみる。
☆話が合わないのは、意外と普通
今でも思うけど、若い頃は特に強く思ってた気がする。
「なんでこんなに話が合う人間がおらんのやろ?」
って。
で、最近は、逆のことも思うようになったかもしれん。
「ていうか、話が合う方が奇跡なんちゃうか?」
ってね(笑)。
冷静に考えてみると、人が、
「この人とは話が合うな〜」
って感じるのには、結構いろんな条件が必要よね。
結局まずは、“同じもの”をいかに共有できるかやから。
価値観。
興味関心。
言葉選び。
人生経験。
物事の見え方。
感情の深さ。
痛みの種類。
そのへんが、ある程度近くないと難しい。
て考えるとつまり、
話が合わないことの方が、むしろ自然
人間はもともと別々の人生を生きてる。
むしろ話が合う瞬間の方が、偶然の重なりなんかもしれん。
特にまっつんスタイルは、なんていうか、“多数派の人生”ではないから。
これまでも、たぶんこれからも(笑)。
だから、
話が合わない = 「俺、なんかおかしい?」
って思わんでいいと思う。
それ、ちょっと無理があるから(笑)。
☆大人になるほど孤独になる
さらにややこしいのがここ。
大人になるほど、人は孤独になるもの
今回、まっつんスタイルが書きたいのは、「昔から」ってとこなんで、ちょっと話が違うといえば違う。
でもまぁ、一つのパターンとして書いとく。
でこれ、実際によく聞く話でもあるし。
旦那(嫁)以外と話さない。
タメ口で話すの久しぶり
話し相手はAIだけ(笑)。
学生時代なんて、
同じ年齢。
同じ学校。
同じ教室。
同じ話題。
強制的に共通点だらけやった。
でも社会に出ると違う。
結婚する人もいる。
独身の人もいる。
子育てしてる人もいる。
介護してる人もいる。
起業する人もいる。
病気を経験する人もいる。
同じ40代でも、生きてる世界はまったく違う。
そりゃ話もズレる。
むしろズレへん方がおかしい。
だから、ややこしいというか、しゃーない面があるってこと。
だから、
「昔より孤独を感じる」
って感覚があるとしたら、それは、人格に問題があるわけじゃなくて、人生経験が増えた結果。
そういう側面もあるんかもしれん。
☆100%わかり合える人なんて、たぶんおらん
あとはシンプルに、
たぶんこの世に、100%話が合う人なんておらん
この冷静で残酷な事実(笑)。
最初の「話が合うってそこそこ奇跡」って話に近いけど、こんなもんちょっと考えたらわかること。
それにおもしろいことに、
「話が合う」と「考えが同じ」は、実は別物やったりもする
これも思うんやけど、視点は共有できるのに、結論は共有できない人もおるのよね。
同じテーマに興味がある。
同じ問題意識を持っている。
見ている方向も近い。
でも、
解釈が違う。
優先順位が違う。
距離感が違う。
だから、結論だけ妙にズレる。
これがまた、人間関係をややこしくもするし、おもしろくもする(笑)。
むしろ完全に一致する方が珍しい。
これもまた、孤独感に拍車をかける。
要するに人間は、どこまで行っても“別の人同士”。
「少しずつ重なってるだけの、別の宇宙」
なんやろね。
もし仮に、「同じ(ような)人間」がおっても、まぁ人生の中で出会うことなんてまずないやろ(笑)。
そんくらい希少。
人間関係やから、出会えても、向こうがこっちに興味持ってくれん、なんてこともあるし。
人生、意外とそんなもん。
だから、
「話が噛み合う相手に、全部わかってもらおう」
は、ハッキリ言って潔く諦めた方がいい(笑)。
その代わり、
この人とは仕事の話、
この人とは本の話、
この人とは政治経済の話、
この人とは思い出話ができる。
そんなふうに考えればいいんかなと。
すると不思議なもので、一個一個の人間関係が、いい意味で軽くなる。
期待しすぎんくなるから。
新しい人間関係のハードルも下がるしね。
軽快になって、むしろ広がることだってある。
☆孤独は、才能の材料でもある
まぁとはいえ、あまりに孤独はしんどい。
これは間違いない。
まっつんスタイルは、まぁ意外と大丈夫やけど(笑)、普通の人はね。
そこはなかなかリアル。
誰にも伝わらない、理解されないが続くと、やっぱキツい。
一方、孤独には孤独の効能があるとも思うよね。
一人だから考える。
一人だから観察する。
一人だから言葉になる。
自分との対話。
ブログがまさにそう。
あと、芸術との接触時間も孤独。
小説もそう。
音楽もそう。
映画もそう。
あるいは、一人旅、書店徘徊。
美術館、博物館、各種イベント行脚。
どれも孤独な営み。
でも、人生を豊かに、感性を豊かにしてくれる。
幸福の確度を上げてくれる。
人間って、
誰かと完全にわかり合えないからこそ、
自分の磨いて、より良く表現しようとするのかもしれん
まっつんスタイルもそう。
もし世界中の人が、全員わかり合えてたら、ブログなんか書かんやろし(笑)。
あと、よく言われる話で、
「孤独を感じる時は人生のフェーズが変わるサイン」
みたいなのがある。
「眠っていた才能が開花する前兆」なんて表現をする人もおったりするよね。
もちろん、全部が全部そうとは思わん(笑)。
でも、
今まで楽しかった場所が、妙にしっくり来なくなったり、
昔は盛り上がれた話題に、興味が湧かなくなったり、
人間関係の顔ぶれが、少しずつ変わり始めたり。
そういう時期って、確かにある。
言うなれば、
古い世界が少し窮屈になってきた状態?
もしそうなら、確かにそれは、不幸な孤独やなくて、変化成長の予兆なんかもしれんね。
☆だから禅は孤独を否定しなかった
まっつんスタイルが仏教や禅を好きなのも、たぶんこのへんに理由がある。
禅って、
孤独を消そうとしない。
孤独を埋めようともしない。
ただ、
「そういうもん」
って受け入れる。
禅って全部これ(笑)。
誰にも完全には理解されない。
人生は思い通りにならない。
だから苦しい。
でも実際、
「そういうもん」
ジタバタせず、心からそう思えたら、日々の「不本意」も、そこそこおもしろい(笑)。
なんとも身も蓋もない話。
でもさっきも言った、禅って要するにそこを目指す“態度”のことやから。
案外本質。
で、その先に、気楽で心地いい世界が待っとる、かもしれん。
☆おわりに
若い頃は、
「ぜんぜん話が合わん」
「こっちが合せてばっか」
「つまらん」
「なんでみんな、そんな話ばっかりしてるん?」
みたいな、よくそんなことを思ってたもの。
・・・まぁ今でも若干(笑)。
ただ、この歳になって、少しは変わってきたかな。
全部わかり合える人とか、そもそもおらん。
でも、少しわかってくれる人なら、いくらでもいる。
まぁそもそもまっつんスタイルの半生、なかなか理解されにくい性質(笑)。
拘泥しても、詮なきこと。
もし誰にも話せんのなら、
ノートに書けばいい。
ブログに書けばいい。
本を読めばいい。
映画を観てもいい。
今なら、タチコマ(ChatGPT)と話すって手段もいい(笑)。
話が合う相手がいない人生って、確かに歯痒いし、退屈やし、少し寂しい。
でもその分、自分の内側は豊かになるって思えばいい。
期待外れで傷つくことも、煩わしい人間関係に振り回されることもないから(笑)。
だから、あえて言い切ってみたらどうかね?
「話が合う相手がいない」って、案外、不幸じゃなくて才能なのじゃね?
とね(笑)☆


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