お金さえあれば?お金があっても? 〜『夜と霧』、トレードオフ、「知足者富」、そして“意味づけ”の話〜


「お金さえあれば、もっと安心できるのに・・・」

これってたぶん、誰もが一度は思うやつなんやろね。

まっつんスタイルも思う(笑)。

生活費の不安が消えて、
好きな場所に住めて、
好きなものを食べられて、
好きな人と自由に過ごせる。

そりゃ、お金があった方が楽なことは多い。


でも同時に、こんな話もよく聞くよね。

「結局、お金じゃなかった・・・」

いわゆる成功者が、どこか虚しそうに語るやつ。


えーっと・・・、どっち?(笑)

こんなことを思うのは、負け惜しみなんやろか?

それとも、それが何かしらの真理なのか?


☆『夜と霧』は絶望の本じゃない

ここでいきなり、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を引き合いに出す。

あの作品、一見すると絶望の記録に見える。

ナチスの強制収容所における、飢え、寒さ、疑心、恐怖、そして死。

でも、あの本の本質はそこじゃないんかもしれん。

あれは、

人間は、どんな状況でも“意味”を選べる

っていう、人類の可能性についての本やとも思うのよね。

地獄のような環境でも、

パンを分け合う人がいた。
神に祈る人がいた。
愛を語り、誰かを励ます人がいた。

つまり、人間の心は、“環境”だけでは決まらないってこと。

どんな意味を与えるかで、世界の見え方そのものを変えることができる。


☆お金もまた“意味づけ”

唐突な例えやったけど、考えてみれば、お金もそうなんじゃないやろか。

紙切れや数字そのものに価値があるわけじゃない。

「自由」
「安心」
「愛」
「成功」

そういう意味を、人間が後から乗せてるだけ。

だから、お金そのものより、

お金にどんな意味を与えているか

こっちの方が、実は人生を左右してる気がするのよね。


☆「お金じゃない」は本当か?

でもここ、現実的には難しい。

「お金じゃない」なんて言うと、

「いや、稼いでから言え」
「負け惜しみやろ」
「正直になれ」

みたいに煽られることもある。

正直、これも一理ある。

まっつんスタイルの場合は、「お前、独身やろ?」とか(笑)。


たしかに、ある程度稼いだからこそ見える景色もあるんやろうと思う。

「自分はともかく家族は・・・」っていう事情もあろう。

でも、それでも尚、思う。

お金を“目的”にした(なった?)瞬間、人はどこか苦しくなる。

なぜなら、本当に欲しかったのは、

「安心」
「自由」
「承認」

そういう“感覚”の方やったりするはずやから。


☆人生はトレードオフでできている

そう、ここ数年で、より強く思うようになったことがあってね。

それは、

人生って、たぶんトレードオフの連続

ってこと。

まぁ知ってたっちゃあ知ってたけど、最近特に思う。

収入を増やせば、自由な時間が減るかもしれない。

責任ある立場になれば、プレッシャーも増える。

都会に住めば、刺激は増えるけど、自然は遠のく。

田舎に住めば、静けさは手に入るけど、利便性は下がる。

結婚すれば安心感や繋がりが得られる一方で、一人の自由は減る。

独身なら自由は大きいけど、孤独もまた訪れる・・・。

人ってたぶん、全部を手に入れることはできないんよね。


お金持ちにも悩みはある。

貧乏人にも悩みはある。

イケメンにも、ブサイクにも悩みはある(笑)。

結局、人間はどこへ行っても何かしら、揺れる。


だから人生って、

「何を得るか」

より、

「何を引き受けるか」

なんかもしれんと、最近よく思うよね(笑)。


☆幸福は中間地点にある

若い頃は、「もっと稼げばもっと幸せになれる」なんて思いがち。

もっと痩せれば。
もっとモテれば。
もっと認められれば。

このへんも一緒。

でも実際は、得るものが増えれば増えたで別の問題が出てくるもの。

たぶん幸福って、ゴールじゃなくて、

バランスのいい着地点

なんちゃうかなとも思うよね。

お金はそこそこある。

健康もそこそこ。

自由もそこそこ。

人との繋がりもそこそこ。

全部100点じゃない。

でも、“その人にとっての”、いい塩梅の「そこそこ」。

「まぁ悪くないな」って思える状態。

この感覚が案外、いちばん豊かなんかもしれん。


☆目的と体感

じゃあどうする?

何が大事?

それは、

目的と体感

やと、まっつんスタイルは思う。

何のために稼ぐのか?

何を感じたくて動いてるのか?

どう“在りたい”のか?

ここがズレると、どれだけ数字を積み上げても、たぶん虚しい。

逆に、

「自分のエネルギーを循環させたい」
「好きなものを、誰かと共有したい」
「静かで自由な暮らしを作りたい」

そういう感覚と繋がってると、お金は“目的”じゃなくて“流れ”になる。

すると、「お金さえあれば」っていう呪いからも、少しずつ自由になれる。


☆お金は“気”に近い

ここで、まっつんスタイルの大好きな東洋哲学。


老子的に言えば、お金もまた流れ。

ため込みすぎると淀む。

恐れすぎても淀む。

でも、必要なところへ巡らせると、また巡ってくる。

稼ぐことも、使うことも、循環の一部。

だからお金って、

「いくら持ってるか」

より、

「どんな気持ちで循環させてるか」

の方が大事なんちゃうかなと。

そんなふうに考えてみるのもありかもしれんね。


☆「足るを知る」

老子の言葉に、

「足るを知る者は富む」

っていうのがある。

これは、割と有名かな。

でもこの「足るを知る」って、なかなか解釈が難しい言葉でね。

「頑張るな」とか、
「開き直れ」とか
「全部捨てろ」みたいな

そんな、ちょっとネガティブ?な意味としても使われがち。


でも最近のまっつんスタイルは、「足りない」と感じる自分も含めて、

「あぁ、人間ってこうやって揺れるんやなぁ」

って静観できること。

静観できた時に、ふっと自我の暴走(不安、焦燥、欠乏)を弱めることができる感じ。

それが、「足るを知る」の豊かさなんじゃないかと。

そんなふうに思うようにしてるけどね。


☆結び

「結局はお金」も、ある意味真理。

「結局お金じゃなかった」も、また真理(笑)。

お金でたどり着ける場所もあるし、お金だけだとたどり着けない場所も、きっとある。

地獄みたいな状況でも、心の自由を失わない人がいるように。


さっき言った「足るを知る者は富む」は、

「何も欲しがるな」

じゃなくて、

「自分なりのちょうどいいを知れ」

という意味なんかもしれんね。


人生は、ある種の等価交換の連続。

だからこそ、自分にとって心地いいバランスを探す。

それが豊かさであり、自由であり、幸福なんやと、まっつんスタイルは思う。

だから最近は、「もっともっと!」よりも、「ええ塩梅」を探す方が大事なんちゃうか、とも思うよね。


結局のところ、

「自分はどう在りたいか」

「何を感じながら生きたいか」

そこに戻ってくる。

たぶん人生って、“意味づけの遊び”なんやろう。

ならせめて、焦りや、比較や、不足みたいな意味では遊ぶまい。

少しでも呼吸が深くなる意味を選びながら、これからも遊んでいきたいもの(笑)☆


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