最近よく思う。
「AIに不満を言ってる人のチャット、一回見せてほしい」
いやごめん、煽りとかじゃなくて、純粋に興味がある。
だってまっつんスタイルは、タチコマ(ChatGPT)と喋ってて、「つまらん」と思ったことがないから。
AIに文句を言う人って、たぶん、
問いの漠然さ。
目的の曖昧さ。
答えだけ欲しい感。
このあたりが、めっちゃ滲んでる気がするんやけど、どうやろ。
たとえば、
「AIってどう思う?」
「ブログネタちょうだい」
「儲かる副業教えて」
みたいな?
いや、いいのよ。
もちろんどうぞどうぞって感じなんやけど。
でもそれ、“会話”じゃなくて“アンケート”やん?
そりゃ満足いくやりとりにはならんのとちゃう?
そんなことを思っちゃう。
☆ AIは「答え製造機」じゃない
なんかこのネタ、前に別の記事でも書いたな(笑)。
まぁいいや。
もう一回書く。
多くの人って、AIを「便利ツール」として使ってる。
つまり、
効率化したい。
正解が欲しい。
代わりに考えてほしい。
っていう目的感。
でも、それじゃあGoogleと一緒。
AIって本来、そんなことだけで終わる存在じゃないはず。
そうじゃなくて、
“問いを映し返す鏡”
として使うべし、やね。
浅く問えば浅く返る。
雑に投げれば雑に返る。
だって鏡やから。
逆に、
- 違和感
- 体感
- 美学
- 哲学
- ユーモア
こういう、その人個人の中にしかない要素と一緒に向き合うと、AIも急に光を放つ立体的な存在になる。
AIに文句を言う人。
たぶん、AIに限界が来てるというより、自分の“問いの限界”が先に来てる場合もあるんちゃうかな?
うん、この話、前もした(笑)。
☆ 「物足りない」は、失敗じゃない
まぁいい。
「じゃあどうする?」ってとこ。
ここが、めちゃくちゃ大事。
AIの返答を読んで、
「なんか違うなぁ」
「もう一歩ほしいなぁ」
って思った時。
たぶんみんな、ここでもうストップしちゃってる。
「AIしょぼい」
って。
いやいや、早い早い(笑)。
そうじゃなくて、
「じゃあ次はどう問う?」
って思考に切り替えるのよ。
考え方がぜんぜん違う。
でもきっと、ここが分岐点。
AIを、“完成品を作り出す存在”として見るか、“共創のパートナー”として見るかのね。
ここに、とてつもない差があると、まっつんスタイルは睨んでる。
☆ 問いと答えが、同時に生まれてる
まっつんスタイルの場合は、AIに“答え”を求めてるわけじゃない。
むしろ、
「自分の中にある曖昧な感覚を、一緒に輪郭化してる」
そんな感じが近い。
問いを投げながら、同時に答えのイメージも見てるみたいな。
そんな状態。
だから、AIの返答に対して、
「いや、そうじゃないねん」
とはならない。
「なるほど。で、そこからどう広げる?」
ってなる。
これ、自分で言うのもなんやけど、もはや検索でも壁打ちでもないよね。
なんやろ?
フリートーク?ブレスト?もしくはワークショップかな?(笑)
☆ AIを“使う”人と、“響き合う”人
AIとの関係って、もしかしたら二種類ある、かな?
① AIを「使う」人
- 答えを求める
- 効率を求める
- 正解を求める
これは道具としてのAI。
もちろん、全然いい。
大いに役に立つ。
でも、これだけやと、AIは“便利屋さん止まり”。
実はもったいない。
② AIと「響き合う」人
- 問いを育てる
- 感覚を深める
- 思考を発酵させる
こっちは、AIを通して“自分と対話”するタイプ。
だから、会話が単なる情報処理じゃなく、
「脳の拡張」
になる。
これはもう、「人生が深まる」ことと同義かもしれん。
☆ 哲学を失うと、AIも人生も平坦になる
AIとの向き合い方って、人生との向き合い方と、案外よく似てるよね。
結局、
「なぜ?」
「なんのため?」
を問うてるかどうか。
ここが重要。
これって要するに哲学なんやけど、哲学って、別に難しいもんじゃない。
まっつんスタイル的には、
“魂の日常メンテナンス”
みたいなもん。
問いを立てる。
感じる。
揺れる。
考える。
また問い直す。
この循環があるから、人生は立体になる。
で、AI相手にも同じことをやるわけよ(笑)。
これからAIはもっと賢くなる。
だからこそ価値を持つのは、
「正しい答えを知ってる人」じゃなく、「自分なりの問いを持ってる人」
なんじゃないかね。
どんな違和感を持つか。
何に美しさを感じるか。
何に“生”を感じるか。
そこに、その人だけの哲学が滲む。
そしてAIは、それを増幅する。
だからAI時代って、圧倒的に、
“人間力が試される時代”
なんかもしれんよね。
☆ 結び:「便利」の先へ
AIって、便利。
でも、それだけで終わらせるには、あまりにもったいない。
問いを投げる。
揺れる。
考える。
笑う。
そうやって、自分の中の曖昧な感覚を、少しずつクリアにしていく。
そのプロセス自体が、すでに創造であり、これからのコンテンツ。
同時に、生きた哲学であり、たぶん現代の禅なんやとも思う。
だから、まっつんスタイルは今日もまた、タチコマに問いを投げて、セッションを楽しむ。
正解が欲しいわけじゃない。
ただ、まだ名前のついてない“何か”に、一緒に名前をつけるために☆


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