「ブログオワコン説」を粉砕 〜折れないブロガーは、比較地獄から降りる〜


今日は、今さっき思った、ブロガーの心得、というか情報発信者の心得を、ちょいと言葉にしてみようと思う。

内容は三つ。

言われてみれば当たり前ってことばっかやけど、マインドとして持っておくとずいぶん違うと思うのでね。

まっ、サラッと読んでみておくれ。


☆心得① ユーザーは、「正しさ」や「優秀さ」だけで選んでるわけじゃない

一つ目は、

ユーザーは必ずしも、情報の質や、その人の優秀さだけに惹かれるわけじゃない

キャラクターやフィーリング、なんとなく好きで選ぶことも普通にあるってこと。

これは発信者側が一番勘違いしやすいとこかも。


情報の網羅性、ロジックの正確さ、権威性や専門性の高さ。

もちろんどれも大事。

でも現実はもっと、なんていうか雑で人間的。

なんか好き
声のトーン
文章のリズム
価値観の匂い
キャラが合う

こういうフィーリングみたいなもので選ばれることって、めっちゃ多い。

というか、自分に置き換えてみたらそうじゃない?


これはつまり、

「自分より詳しい人がいるから、自分の発信には価値ない」は完全なる誤解

ってこと。

そもそもの“比較する土俵”を間違えてる。


☆心得② ユーザーは「世界中から最適解」を探してるわけじゃない

二つ目。

ユーザーは、世の中の全情報を精査して、自分にふさわしい対象をチョイスしてるわけじゃない

自分の生活の中で出会う範囲内の情報で判断してる

ってこと。

これもさっきと一緒。

自分に置き換えてみてほしい。

ホンマそうじゃない?


例えばユーザーは、暇な時間にたまたま開いたSNSで、偶然流れてきた情報を、気分で読んでる。

例えば別のユーザーは、たまたま検索上位に出てきたサイトを2〜3個見て、なんとなくで判断してる。

そんなもんやん?


世界中の発信者の情報を横断比較して、「最も優れたAさんを選びました!」なんてこと、まずない。

いや、そんなこと物理的に不可能(笑)。

だから、世間のフォロワー数やバズと、自分のそれを比べて落ち込むなんてのは、ほぼ意味のない自傷行為。


☆先日、ふと湧いてきた“雑念”

例えば、まっつんスタイルもこないだ、「人と比べて・・・」みたいなことがあってね。

本屋さんで、とある仏教本をパラパラ読みしたとき。

脳裏にチラついた、「あら?この本、俺よりおもろいかも?…」っていう“雑念”。

まったくお恥ずかしい(笑)。


でも、こういう場面では、次のように考えることが大事。

「というか、まっつんスタイルのファン予備軍が、この本の作者の存在を知ってるとは限らん」

「知らないものとは比べようがないし、知っててもまっつんスタイルを選ぶことだってありうる」

わかるやんね?

これもその通りじゃない?


ユーザーは「世界全体」を見てない、見れない。

これって別に、慰めでも屁理屈でもなくて、人間の仕様。

人は、知ってるもの同士しか比べられない

実際に触れたことのあるものしか評価できない

だから仮に、「世界一優れた仏教本」なるものが存在したとしても、知らなければ存在しないのと同じ。


で、さらに重要な事実がこれ。

人は、最良の一冊じゃなくて、“今の自分にちょうどいい一冊”を選ぶ

読みやすい
価値観が近い
レベル感が合う
今の気分にマッチ
トーンがちょうどいい


どやろ?

ここまで理解できたら、誰かと自分を比較することの無意味さを実感できるんじゃないかな?


☆心得③ 自分では大したことなくても、他人には価値になる

そして、あともう一つあるとしたら、この“もうどっかで聞いたことあるやつ”(笑)。

自分では大したことないと思ってることでも、自分じゃない誰かにとっては高い価値がある

これ、現実の世界でも普通にあるやん?

もう完全に真理。

だからこそ、どっかで別のブロガーも言ってるはず。


「自分じゃ大したことないって思う」ってこれ、実は価値判断として一番“アテ”にならんのよね。

理由は単純で、

苦労した記憶は覚えてない
できるようになった過程を知ってる
今の自分は、それを毎日使ってる(できてる)

から。

つまり、“あまりに慣れすぎて、価値が見えなくなってる”だけ


ものの価値っていうのは、単純な「比較」じゃなくて、「距離」で決まるもの。

あなたにとって当たり前の体験や視点の言語化が、そこから少し“離れた”人には宝物になることがある

まっつんスタイルの視点がそうであるように(笑)。


☆三つに共通する結論:他の発信者と比較して一喜一憂する意味はまったくない

さて、最初の二つに共通するのは、

他の発信者と比較して一喜一憂することにはまったく意味がない

ってこと。

で、三つ目が、それをさらに補強する感じ。


ユーザーは、発信者が想像しているほど、発信者同士を比較したりしてないのよね。

なのに発信者だけが、

「全然足りん」
「俺なんかまだまだ」
「くそ、あいつより下やん」・・・

って、頭の中で勝手に、他の発信者との“脳内リーグ戦”を始めちゃってる。

ユーザーは、そんな会場にすら来てないのに(笑)。


☆じゃあ発信者がやることはなにか?

比較の無意味さを腹に落として、比較することを止めたら、残るのはこれ。

自分の世界観を、淡々と更新し続けること

もうビックリするくらい、「そりゃそうやん!」って結論(笑)。


でも本当にそうなると、

  • 他人の数字が気にならなくなる
  • 自分の言葉や心の声に集中できる
  • 発信が、“勝負”じゃなく“表現”になる
  • キャラクターや生き様を育てる方向に向く
  • 結果的に長く、楽しく継続することができる

いいことだらけ。

これ、才能とか数字的な結果より大事なことやと、まっつんスタイルは思うけどね。


☆「ブログオワコン説」を粉砕するのは、こういう人

情報発信する際の三つの心得。

いい感じに復習できたんじゃないかしら?

全国のブロガー志望者に奮起を促せたなら重畳。

まっつんスタイルは、「ブログオワコン説」を粉砕するというミッションも負ってるから(笑)。


「ブログはオワコンか否か」とか以前に、“無意味な比較地獄”に落ちて、「心が折れるか否か」が先。

① 人は、情報の質だけで発信者を選ばない

② 人は、世界中の情報を比較検討してるわけじゃない

③ 自分には当たり前でも、他人には価値になることは大いにある

この三つを、もう一回意識に叩きこむ。

人と比較して一喜一憂する必要、一切なし。

やるべきことはただ一つ。

自分の世界観を、淡々と更新し続けること☆


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