資本主義と宗教改革を“横から”読む 〜プロテスタントの倫理と正しさ〜


☆サラッとする話でもないけど触れる(笑)

さて、今日はヨーロッパの「宗教改革」と「資本主義」のお話。

「なんでそんな話するん?」ってなもんやけど、気になったんだからしゃーない(笑)。


正直に言うと、これ、宗教学者が一生かけるテーマ。

宗教改革と資本主義
カトリックとプロテスタント
ついでに、日本での布教・・・

普通にやったら、論文何10本コース。

まぁでもさ、だからこそ、軽やかに、爽やかに、遊び感覚で触れる価値がある。

学者がやるのは、

・原典精査
・歴史検証
・概念定義

まっつんスタイルがやるのは、

「で、現代を生きる俺らにズバリ効くような、“教え”とか“戒め”を抽出しよか?」

ってこれ。


だから、「論文10本分を1,000文字で触る」ノリ。

核心だけ、遊びながら掴みにいく感じ。

今日はそんなテンションで。


☆「プロテスタント → 資本主義」は“期せずして”

まずは、めちゃくちゃ大事な前提。

マックス・ウェーバーの話を誤解してる人、意外と多いみたい。

ウェーバーさんは言ってない
× 「プロテスタントが資本主義を作った」

ウェーバーはこう言った
◯ 「プロテスタントの倫理は、資本主義と親和性があった」

つまり?

原因でもない
設計図でもない
でも、燃料にはなった

意図せざる、副産物。

資本主義は、“期せずして”生まれた

ここ、テストに出るやつ。


☆じゃあルターは何を目指してたのか?

宗教改革のスーパースター、マルティン・ルター。

さっきの前提で考えると、カトリックに喧嘩を売ったルターの敵は、資本主義でも経済活動でもない。

敵はこれ。

・贖宥状(お金で罪が消える?)
・教皇絶対権力
・教会=救済の仲介業


ルターが言いたかったのは、超シンプル。

神と人の間に、権力装置はいらん!

「聖書こそ唯一絶対」
「必要なのは“正しい信仰”のみ」

「万人祭司」は有名な言葉。

「万人祭司」:聖職者も農民も、神の前ではみな同じ

神と人が、直接向き合う社会を目指したってことやね。


☆カルヴァンは、もっとストイック

プロテスタントといえばこの人、ジャン・カルヴァン。

カルヴァンは、ルターより怖い(笑)。

恐れてたのは:

堕落した信仰
人間の自己正当化
感情に流される宗教

だから:

・予定説:救済される人間は、神によってあらかじめ決められている
・規律と禁欲:規律遵守。享楽や贅沢の否定。真面目で禁欲的な暮らし
・転職と勤勉:仕事は使命であり天職。神への奉仕が、救いの核心になる


カルヴァンが目指したのは、

神の前で誠実に生きる共同体

ここ、超重要。

金儲け社会を作って、みんなでウハウハ?

いや、全然違う。


☆じゃあなぜ資本主義が生まれたのか

で、ここがウェーバーさんの天才ポイント。


カルヴァン派の信徒

「救われてるのか分からん・・・」

「もう行動で確認するしかない」

「よっしゃ!勤勉、禁欲、浪費はしない!」

「・・・あれ?、資本貯まってる?」


これ、元々は神のため、救済不安解消のためやったのよね。

でも結果的に、経済が回り始めた。

異様な大きさと早さで。

つまり「資本主義経済」は、副産物。

結果的に、資本主義を加速させた。


このことを看破したウェーバー先生、やっぱ天才。


☆ここで視点を反転してみる|カトリック側から見た宗教改革

これも大事なこと。

「じゃあカトリックは、単なる悪役やったんか?」って話。

たぶん、違う。

彼らだって守ろうとしたものがあった。

共同体
儀礼文化
教義の統一

そしてなにより、社会の安定。

カトリックが恐怖してたのは、

信仰の分裂による社会の分裂

安定から混沌への暗転・・・

これ、権力云々以前の、普通にまともな不安。

宗教改革に全力で抗ったのも、ある意味頷けるわね。


☆正しさは、人を救い、世界を割る

宗教改革は、当時の社会の“うねり”になった。

それだけ論に説得力があり、市井の人々の心根を代弁したとも言える。

見方によっては、「解放の物語」。

でも同時に、

宗派の分裂
血で血を洗う宗教戦争
そして、社会の混乱と対立・・・


正しさは、人を救う。

でも行き過ぎると、世界を割るのよね・・・。


☆日本ではプロテスタント倫理が深層まで根づかなかった?

ここはまぁおまけ程度。

断定せんと“仮説”で置いとく。


☆“日本人的努力”は、救われるためというより、場を乱さないため?

日本にはすでに、土着の神々や大日如来への信仰があった。

そこに、西洋人世界の「唯一絶対の神」が入ってきても、「誰?」ってなった可能性(笑)。

そんなのまともに信じたら、コミュニティーからハブられる?


そしてなにより、日本人は、個人よりも関係性を重視する民族性。

・天国での救済より、日常生活における役割と責任
・「唯一神」との一対一より、「縁」と「循環」の世界観

共同体の治安を乱さないことが第一義。


だから、“予定説的世界観”とは、相性が悪かった?


☆日本は、「浄土真宗」が最大宗派になるお国柄

これ、象徴的すぎる。

日本に合った感覚は、親鸞さんの価値観。

努力で証明しなくていい
正しさで測られない

たぶんこれ、日本人の“自然観”なんよね。

支配や超越」より、「受容と共存」。


△不安や恐怖を燃料にエンジンを吹かす
◯不安や恐怖を手放し、赦しと安堵に身を委ねる。

この感覚、日本文化の深層。

プロテスタンティズムとは、進む方向が反対。


「日本にキリスト教が根付かなかった」って話をすると出てくるのが、「伴天連追放」とか「鎖国」とかって用語。

でもこれ、「時の幕府は、カトリックの布教は取り締まったが、プロテスタントは放置した」が正しい。

・・・と、この話は長くなりそうなんで、また別記事で(笑)。


■ ここから、現代に活きる知恵と教戒

ここまでサラッと、あまりにサラッと「宗教改革」を眺めてみて・・・(笑)

さて、どんなメッセージ(知恵と教戒)を抽出できるかな?


☆人は、正しさで安定させようとする?

宗教も、倫理も、社会システムも、突き詰めると、たぶんこれ。

人間は、混沌を求めてるわけじゃない

求めてるのは、安心して生きられる状態 = 安定

そのための一番わかりやすい方法が、

・正しさ
・ルール
・努力
・秩序
・証明

こういうもの。

プロテスタント倫理も
禁欲も勤勉も
資本主義も

極端に言えば、「正しく生きれば大丈夫」っていう安定装置やったんじゃないかね。

そう、人はどこまで行っても“安定厨”(笑)。


☆でも、正しさ”だけ”だと疲れる?

ここが、めちゃくちゃ現代的。

人は、正しさで社会を作れる。

でも、正しさだけでは、心は休まらない。

だから人間はずっと、

・他力
・赦し
・余白
・祈り
・詩歌
・芸術
・酔い(←ここ、まっつんスタイル(笑))

みたいなものを一緒に作ってきたんよね。


人間が、混沌好き見えても、本当に欲してるのは、その後の“安定”。

その“安定”を壊さないための回復装置

これが正しさと同時に必要。


☆そして現代は、“正しさ過剰”?

現代人は、ネットでもリアルでも、

正しさで戦いすぎ
正しさを証明しすぎ
正しさを評価しすぎ・・・

血みどろの宗教戦争はなくとも、ネット上のど突き合いなんかは日常茶飯事。

あれ、完全に“正しさ過剰”。

「集団心理」が作用したときなんかは特にね・・・。


だから必要なのは、

正しさに酔わない
でも思考停止もしない
まず相手の前提を想像する

これマジで、現代を平穏に活きるための実用スキルやと思うね。

相手にとっても自分にとっても。


☆モテエロZEN的に言う

「正しさと安定」、そして「人間的魅力」についてはどうかな?


たぶん、雰囲気と振る舞いに出る。

裁かない
強要しない
張り合わない
余裕さと寛大さがある
正しさを振りかざさない

正しさとの距離感が絶妙。

こういう人、

頼れる
落ち着く
信頼できる
安心感がある
一緒にいて疲れない

で、だいたいモテる(笑)。


☆正しさと成熟

じゃあ最後に、「人間の成熟とは?」。

これたぶん、

正しさを持ちながら、正しさと距離を取れること

まっつんスタイルはそう思う。



宗教改革を、「正しさと安定」という視点で見る。

プロテスタント倫理(資本主義の礎)の、多面性を知る。

そんな意識を持てるだけで、世界の見え方はおもしろく変化する。


そして、

正しさと距離を取れること

これ自体が、人間としての成熟であり、現代を生きる強さかも。


正しさで世界を変えようとする前に、正しさとの距離を測ること

その距離感が、人間の深みになり、安心感になり、そして色気になる

宗教改革から見えた、現代をしなやかに生きるコツ☆


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