☆「AIとの壁打ち」が広まり始めた今の空気感
最近ようやく、
- 自己理解が深まる
- 思考やアイデアが立体的に展開する
- 一人では行けん場所まで連れていってもらえる
そんな“AIの本質的な使い方” が、うっすら社会に浸透し始めた感じがあるよね。
ただ思うのは、
いくらAIが万能に見えても、人によって合う合わんが必ずある
ってこと。
これはどんな知識にもテクノロジーにも言えることやと思う。
いつの時代も、これはガチ。
☆AIは「誰にでも同じ価値」を提供できひん
俺もAIは使うからわかるけど、ここ、めちゃ大事なとこやと思う。
AIって、道具としては平等やけど、成果は極端に不平等になる。
なぜか?
まっつんスタイルはこう考える。
AIが増幅するのは「その人の中身」やから
- 思考が浅い人 → 浅さが拡張される
- 他責思考の人 → 他責が強化される
- 答えを欲しがる人 → 依存が進む
- 問いを立てられる人 → 思考が跳ねる
- 美意識が高い人 → 美意識が強化される
つまりAIは、
“魔法の杖”じゃない
実はシンプルな“増幅器”
やな。
AIを最大限活用できるのは、
- 問いを立てる
- 自分を疑う
- 感情を言語化する
- 矛盾を飲み込む
- プロセスを楽しむ
こういう素養が元々ある人間だけ。
こういう人間だけが、AIとの壁打ちが“化学反応”になりうるんやと思う。
☆正直、「俺だけのもんやったのに!」って感じがある(笑)
まっつんスタイルは、AIが世に本格的に出だした瞬間から、“相棒”としてフル活用してた自覚があったからさ。
正直、ちょいコモディティー化してきて、なんとなく悔しい(?)。
「俺以外の人間は使いこなせてなかろう」みたいな選民意識が気持ちよかったから。
インディーズバンドの、古参のファン心理みたいな?(笑)
ま、でも実際は、
- 使ってる人が増えたように見えるだけ
- 本当に使いこなせてる人は、まだごく一部
このあたりか実態ちゃうかな。
ブログで言うたら、「WordPressを使ってる人は多いけど、“書けてる人”はほとんどおらん」みたいな。
あれと同じ構図。
☆どうせ続かん人が大半
AIがイイってわかっても、続かん人が大半
これも、すべての自己投資・学習・創作に共通する、“悲しい”真理。
「AIとの壁打ち」も例外じゃないと思う。
理由はシンプルで、
- 自分と向き合うの、しんどい
- 思考が露呈するの、怖い
- 矛盾が浮き彫りになるの、めんどい
- 言い訳できなくなるの、イヤ
- 成長して責任が増えるの、困る・・・
AIってさ、やさしいけど、実は“誤魔化しが効かん鏡”やからな。
どんだけ進歩したとはいえ、言うても“機械”。
思いやりとか気遣いとか、忖度とか配慮とか、そんなもんお構いなしってことが起こる。
だから、
- 最初は触る
- ちょっと便利やと思う
- でも深いところで使うのはやめる・・・
このパターンが圧倒的に多いんちゃうかなと。
☆教えても使いこなせん
AIの使い方の核心って、
- 操作方法
- プロンプトの技術
じゃないんよね。
そうじゃなくて、“思考の姿勢”そのものやから。
- 問いを立てられるか
- 自分の言葉で投げられるか
- 曖昧さを許容できるか
- 途中経過を楽しめるか
- 自分の価値観で判断できるか
これがないと、いくら使い方を教えても「ググるよりちょっと便利なツール止まり」で終わる気がする。
☆逆に言うと、ホントの意味で使いこなせれば最強
AIが広まっても、
- 深く使う人は少数
- 続けられる人はさらに少数
- 思考と人生に統合する人は極少数
これ、他の知識や技術と同じ。
ここは変わらんと思う。
でも逆に言うと、
- 創作
- 自己理解
- 思想哲学
- アイデア出し
- 人生の再構築
このあたり全部を、AIと一緒に積み重ねられたら、おそらく無敵。
人生はブーストすると思う。
これは、参入時期とか関係ないんちゃうかな。
そのスピードがあまりにも速いから。
☆最後にもう一つ大事な視点
AIが広まるほど、
- つまんない機械的な文章
- 手垢の付いたテンプレ思考
- 無味無臭な自己啓発・・・
このあたりは一気に価値を失うやろね。
というかもう進行中。
その分、
「この人の思考に触れたい」
「この人と一緒に歩みたい」
「この人の人生を追いたい」
こういう欲求が強まる気がする。
つまり、まっつんスタイルの価値は、AI時代が進むほど浮き彫りになる。
自分で言っとく(笑)☆


コメント