仏教動物園①|“サイの角”のごとく孤独に歩め 〜釈迦が教えた「距離感」〜


☆なんで今、サイ?(笑)

「サイの角のように、ただ独り歩め」

最近読んだ『般若心経』の解説書にこのフレーズが出てきてね。

「あら?かっこいい!」って思っちゃって(笑)。

ついでに、なんか胸の奥がスッと静かになった気もしたのよ。


もしかしたら極端に解釈されるパターンのフレーズかもしれん。

でも、孤独を美化しているわけでも、人間関係を断ち切れとか言っているわけでもないと思う。

これはきっと、“適切な距離の取り方”の話なんちゃうかなと。

その比喩としての“サイの角”。


☆出典|この言葉はどこから来た?

この教えは、『スッタニパータ(Sutta Nipāta)』に収められた、「サイの角経(Khaggavisāṇa Sutta)」が由来。

スッタニパータは、仏教経典の中でも最古層に属してて、お釈迦さまの思想がまだ体系化される前のもの。

だから、“お釈迦さまの生の言葉”に近いテキストとされてる。

そこで繰り返し語られるのが、

悪をなさず、欲を少なくし、サイの角のように、ただ独り歩め

という主題。


☆仏教的な意味|なぜ「サイ」?

なんでお釈迦さまは、ライオンでも、ゾウでもなく、“サイ”を選んだのか?

サイってさ――

  • 基本的に単独行動
  • 無用な争いを好まない
  • でも弱くはない
  • というかめっちゃ強い(笑)
  • 群れなくても生き延びる力を持ってる

つまりサイは、“孤独 = 敗北”っていう発想を持たない生き物なんよね。

これ、現代人と真逆。


☆なぜ「角」で表現したのか?

さらに重要なのが、「サイのように」じゃなくて、「サイの角のように」って言っている点。

ここがセクシー(笑)。


サイの角は一本。

折れやすい?

いやいや、めっちゃ強い。

そして、

  • 分かれない
  • 群れない
  • 他と比べられない

だから、ここで語られている“孤独”は、“寂しさ”とかじゃなくて、“一貫性”に近いと思う。

「孤独」という言葉の持つ意味が別次元なんよね。


☆生き物としてのサイを軽く

実際のサイは、群れで行動するよりも、一定の距離を保ちながら生きてる。

不用意に近づけば危険。

でも、自分から襲いかかることは少ない。

近づきすぎないから、お互いに平和

この生態そのものが、“距離感”のメタファーになってるわけよね。

お釈迦さまのセンス、お見事。


☆まっつんスタイル語訳|「サイの角」とは何か?

じゃあお釈迦さまの言葉を、まっつんスタイル流に翻訳すると、だいたいこうかな。

  • 「独りでいろ」じゃなくて、「群れに依存するな」ってこと
  • そして「欲と争いが増幅する場所からは、静かに距離を取れ」ってこと


そう、言い換えるなら、「全部に参加しなくていい」っていう許可。

「必要、不要を見極めよ」っていうサジェスト。


俺自身のことでいうと、インフォメーションやコミュニケーションの選別には恐ろしく気を遣ってるよね。

でも慣れてくるとラク。

それこそ恐ろしくラク(笑)。

「サイの角」はいい。


☆エロモテZENによる現代的解釈も

ついでに、モテの世界でも同じことが言えるかもね。

  • 常につながってないとダメな男
  • なんにでもすぐ反応する男
  • 集団に媚び、迎合し、妥協し続ける男

これはでは安心感は提供できひん。

まぁ言うまでもない(笑)。

単なる軽薄さであり脆弱さでしかない。

一方で――

  • 一人で立っていられる男
  • 絶妙な距離感を保てる男
  • 欲をコントロールできる男

こういう姿勢の男には、静かに色気が宿るもの。

群れない男は、群れを必要としない

まさに、お釈迦さまの言う“サイの角”のごとし。


☆『攻殻機動隊』と「林の中のゾウ」

映画『イノセンス(攻殻機動隊)』で引用される有名な一節。

孤独に歩め。悪を成さず、求めるところは少なく。林の中のゾウのように

知ってるかな?

そう、サイもゾウも、“孤独に耐えられる強さ”の象徴なんよね。

孤独は、弱者の避難所じゃなくて、強者が自然と立つポジション。


☆今日はサイでいんじゃね?

「サイの角のように歩め」

やっぱかっこいい(笑)。

とはいえ、かっこいいからって、誰でもが人生の最適解にする必要もない。

でも、このあまりに騒がしすぎる現代。

そんな世界において、“有効な距離の取り方”には大いになりうる。

大切な選択肢の一つ、考え方の一つって感じやね。


全部を抱えなくていい。

全部に反応しなくていい。

「今日は“サイの角”でいんじゃね?」ってね


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