命を奪う猟師が、動物愛護について考えてみた 〜「中庸」って中途半端なん?(笑)〜


☆まっつんスタイル、猟師もやってました(笑)

まっつんスタイル、

実は猟師もやってました。

「猟師」。

なんか響きがカッコいいよね(笑)。

とはいえ、鉄砲の資格を持ってるわけじゃなくてね。

京都で農業をやってた頃、

獣害対策として、

くくり罠で鹿や猪を捕獲してた。

田舎で農業をやってると、

鹿や猪って、

「自然豊かな森に暮らすかわいい動物」

だけじゃ済まんのよね(笑)。

畑に入る。

作物を食う。

荒らす。

農家からすると、

「おえおえ! 俺のお米ちゃんに何してくれてんねん!?」

ってなる。

だから、獣害対策として捕獲する。

今日はそんな、

「動物を捕まえて、命を奪う」

っていう経験から考えた話。

なんか重そう?

大丈夫。

なるべく軽く書く(笑)。

☆

☆最初は、足が震えた

罠にかかった鹿や猪は、

基本的には生きてる。

スーパーに並んでる肉とは違う。

こっちを見る。

動く。

暴れる。

文字通り“必死”。

でも最終的には、

自分でその命を奪わなきゃいけない。

初めて鹿を捕獲して、トドメを刺した時のことは、

鮮明に覚えてる。

普通に怖かった。

足が震えた。

罪悪感が込み上げた。

「今から俺が、こいつの命を終わらせるんやな」

って。

普段の生活だと、

なかなか感じることのない感覚。

でもこれ、

何度か経験するうちに、

自分の中に、

ちょっと別の感情があることに気づくのよね。

「・・・俺、これ(狩猟)を“楽しい”って思ってる?」

ちなみにトドメの差し方は、

バールで脳天をど突く・・・。

・・・これが楽しい?

俺、大丈夫?(笑)

☆

☆「楽しい」って言ったらアカンのかな?

これ、

文章にすると、

なかなかヤバい(笑)。

「動物の命を奪うのが楽しいです」

だけ切り取ったら、

完全に近づきたくない人?(笑)

でも、

自分の感覚に嘘をつくことはできない。

緊張する。

怖い。

身体が反応する。

自分で判断する。

自分の行動によって、

目の前の生き物の生死が決まる。

でも、たしかに、

高揚感みたいなものがある。

他の命の、生殺与奪の権を握っている感覚。

そこに、

人間としてなのか、

男としてなのか、

もっと動物的な何かなのかは知らんけど、

“原始的な感覚”が刺激されるようなところが、

たしかにある。

これ、

「命なんて知ったこっちゃねー!」

ってことじゃない。

罪悪感はある。

命を、人間都合で奪ってるっていう意識もある。

なんらかしらの形で供養したい。

そんな気持ちもある。

でも、

興奮して、全能感に浸る自分もいる。

なんか、

矛盾してる?(笑)

でも、まっつんスタイルが思うに、

人間って案外、

こんなもんなんかもしれん。

☆

☆命を大切にするなら、動物を殺してはいけない?

そんな経験をしてると、

当然、

「動物を殺すって、どういうことなんやろ?」

みたいなことも考える。

そこで出てくるのが、

例えば、

「動物愛護」。

「動物福祉」。

「アニマルライツ」。

「ヴィーガニズム」。

このへん。

詳しくやり始めると、

一気に哲学の授業みたいになるから、

今回はざっくり(笑)。

人間が動物を利用すること自体は必ずしも否定しないけど、

「できるだけ苦痛やストレスを減らそう」

という考え方がある。

一方で、

そもそも、

「人間が動物を資源のように利用すること自体、どうなん?」

というところから問い直す考え方もある。

そして、

食べ物や衣服なんかも含めて、

可能な範囲で動物の利用を避けようとする生き方もある。

こういう考えを知ると、

まっつんスタイルは普通に、

「なるほどな〜」

って思う。

だって、

動物だって痛みは感じる。

怖がる。

苦しむ。

なら、

なるべく苦しませないほうがいい。

これは、

かなり自然な感覚に思える。

☆

☆でも、獣害も普通にある(笑)

ただ一方で、

かつてまっつんスタイルがいたのは農業の現場。

鹿が畑に入る。

猪が作物を荒らす。

熊と生活圏がぶつかる。

農家にとって生活そのものにも関わる。

「人間と野生動物の共存」

って言葉は、

とても綺麗。

俺も、

できることなら共存したい。

でも実際の畑では、

「共存はええけど、その野菜食うのやめてもらってええかな?(苦笑)」

みたいなことが起きる。

人間の暮らしもある。

動物の暮らしもある。

命は大切。

でも、

人間は他の生命を利用しながら生きてもいる。

うーむ。

こんなもん一色では塗れるもんじゃないわな(笑)。

☆

☆結局、どっちが正しいんやろ?

動物を殺すなんて残酷?

いや、

人間だって自然の一部。

動物を食べないほうが倫理的?

いや、

人間は昔から動物を食べてきた。

狩猟は残酷?

じゃあ、

スーパーで肉を買って食べるのと、

根っこの部分では何が違う?

・・・。

うん。

正解決めるの、しんどい(笑)。

個々の論点について調べれば、

科学的に分かることもある。

法律で決まっていることもある。

倫理について、

長いこと議論されてきたこともある。

だから、

「全部好き好きでええやん」

で済ませるつもりもない。

でも、

こういうテーマに触れるたび、

まっつんスタイルは思う。

「どちらか一方を、全部正しいことにせなあかんの?」

って。

過激な人と接触したときは特にね・・・。

☆

☆「両方知る」って、案外大事なんじゃない?

これは狩猟に限った話じゃない。

何かについて、

Aっていう意見がある。

その反対側に、

Bっていう意見がある。

人間って、

一度A側に立つと、

Bの話を聞くときまで、

「さあ、どこが間違ってるか探したろ」

みたいになりがち(笑)。

でも、

一回それをやめてみる。

Aを知る。

Bも知る。

それぞれ、

「なんでこの人はそう考えるんやろ?」

って見てみる。

すると案外、

「あ、それはたしかに一理ある」

って部分が、

両方にあったりする。

でも、

両方を丸ごと採用するのは無理。

知ったうえで、

「で、今の俺はこのへんかな」

ってところに立てばいい。

これ、

当たり前みたいな話やけど、

“意識的に”やってる人って、

案外少ないんちゃうかなって思う。

☆

☆「間をとる」って、50対50じゃない

ここで、

まっつんスタイルが好きなのが、

「中庸」

とか、

「中道」

みたいな考え方。

ただ、

「間をとる」って言うと、

何でも真ん中にすればいい、

みたいにも聞こえる。

Aが50。

Bも50。

はい、中庸完成?

・・・いや、なんか違う。

そんな簡単じゃない。

というか逆に50対50にするとか、

普通に難しい(笑)。

だから別に、

70対30でもいいと思う。

極端な話、

90対10でもいい。

新しいことを知って、

60対40に変わってもいい。

場合によっては、

「やっぱほぼAやな」

ってなってもいい。

大切なのは、

必ず真ん中に立つことじゃなくて、

自分の立ち位置を固めすぎないこと

なんちゃうかな。

今日の自分の考えで、

明日の自分まで縛る必要はない。

知らなかったことを知った。

経験した。

考えが変わった?

なら、

立つ場所を変えればいい。

そのくらい、

しなやかに立ち回る方が、

人生は快適。

☆

☆矛盾したままでも、別にええやん(笑)

まっつんスタイルは、なるべくどっちか一方には偏らない。

言い方によっては矛盾だらけ(笑)。

命は大切だと思う。

でも肉は食べる。

動物の苦痛は、

できるだけ少ないほうがいいと思う。

でも、

バールで脳天をど突いてきた(笑)。

命を奪うことに罪悪感もあった。

でも、

そこに高揚を感じる自分もいた。

全部、まっつんスタイル(笑)。

これを、

どれか一個に統一しようとすると、

しんどくなる。

ていうか、無理(笑)。

「命は大切だから、動物利用はすべて否定しなければならない」

逆に、

「人間は動物を利用してきたんだから、何も気にする必要はない」

そこまで振り切らない。

矛盾してるなら、

矛盾したまま、

「なんでやろ?」

って考え続ければいい。

人間なんて、

そんな綺麗に一枚岩じゃないんやから。

☆

☆正しさよりも、柔らかさ

たぶん、

まっつんスタイルが「中庸」に惹かれるのは、

絶対的な真ん中が好きだからじゃない。

「凝り固まりたくない」

「自分の意思で、常に自由に動ける状態でいたい」

そういうことなんやと思う。

自分と違う意見を見た瞬間、

「うわ! 敵!」

ってしたくない(笑)。

「あぁなるほど、そういう見方もあるんやな」

って一回置いてみたい。

そのうえで、

「でも俺は“今のところ”、こう」

って言いたい。

で、もし、

明日考えが変わったら、

普通に変えたい。

そのほうが、

シンプルに楽しい。

人とも争いも生まれにくい。

新しい知見も知れる。

なにより、

自分の考えで、自分自身の人生を窮屈にしないで済む。

このスタンスの“柔らかさ”は、

これからもずっと持っていたいと思うよね。

☆

☆それを中庸と呼ぶか、中途半端と呼ぶか(笑)

いや、

こんなスタンスを、

「どっちつかず」

って言う人もおるやろう。

「自分がない」

とか言われるかもしれん。

そういえば昔、

誰かに言われたことがあるような(笑)。

まぁでも、

それすらも一理ある(笑)。

でも、

両方を知らずに真ん中にいることと、

両方を見たうえで、

自分なりの場所を選ぶことは、

これ、全然意味が違うと思う。

少なくともまっつんスタイルは、

どちらか一方に急いで答えを決めて、

そこから動けなくなるより、

両方を見ながら、何度でも自分の立ち位置を選び直せるほうが好き。

それを、

「中庸」

と呼ぶか。

「中道」

と呼ぶか。

「優柔不断」

と呼ぶか。

はたまた、

「中途半端」

と呼ぶかは、

その人の感性(笑)。

☆

☆これもモテと繋げる?(笑)

さて。

狩猟。

動物愛護。

ヴィーガニズム。

中庸。

・・・。

どうやってモテに繋げる?(笑)

でも、例えば、

女性の前で、

「俺、鹿とか猪とか仕留めてたからね」

「生殺与奪の権を握ってる感覚っていうの?」

「あれ快感なのよ」

とか言いながら、

ワイルドな男を演出し始めたら、

どうかな?

モテるかな?(笑)

それより、

自分とまったく違う考えの人に会ったとき、

「へぇ、なんでそう思うん?」

って聞ける。

「あぁ、なるほど、それはそうかもな」

って言える。

かといって、

何でも相手に合わせるわけじゃなくて、

しっかり自分の考えも持ってる。

そして、

必要なら、いつでも変えることができる。

そんな男のほうが、

なんとなくモテそう。

寛容。

柔軟。

余裕。

余裕がある男って、

たぶん、

ちょっとモテる。

・・・知らんけど(笑)。

☆

命は大切。

でも俺らは、

他の命との関わりの中で生きてる。

生かされてる。

その矛盾に、

人類はいまだに一つの綺麗な答えを持ってない。

でもこれたぶん、

無理に出さんでもいいやつ。

知る。

考える。

反対側も見る。

そして、

今の自分がしっくりくる場所に立つ。

また何か知ったら、

少し動く。

たぶんずっとそう(笑)。

少なくとも、

まっつんスタイルはそんな感じで、

これからも柔らかく、しなやかに生きていきたい。

いつでも“更新可能な自分”でいたいと思う。

それを中庸と呼ぶか、

中道と呼ぶか、

中途半端と呼ぶかは、

その人の感性ってことで。

・・・まぁ、そのへんも、中庸に考えとこう(笑)☆


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