性格より先に、心のクセが作られる 〜過去は変えられない。でも意味は変えられる〜


☆今の自分は、どこから来たんやろう?

40代も後半になると、自分の性格なんてもう「完成済み」みたいな気がしてくる。

人見知りな人は、人見知り。

明るい人は、明るい。

心配性な人は、心配性。

まぁ、そんなもんやろうと。

でもそうは思っても、時々思わずにはおれん。

「なんでこんなにも考え込むんやろ?」

「なんで過去の記憶を、何度も反芻するんやろ?」

「なんで人との距離感に、これほどまで敏感なんやろ?」

「なんで一人でおるのが苦じゃないんやろ?」

「なんで、誰もが気にせんことばっかり気になるんやろう?」

そんな問いを突き詰めていくと、最後は同じ場所に行き着く。

で結局、今の自分って、どっから来たん?


さて今日はそんな話。


☆性格より先に「心のクセ」が作られる

最近は、心理学や脳科学の研究も想像以上に進んでるみたい。

「性格には、生まれ持った気質がかなり影響してる」

ってことはよく言われるようになったよね。

楽観的な人。

慎重な人。

刺激を求める人。

不安を感じやすい人。

こういう傾向には、生まれつきの部分って確かにあるらしい。

ただ一方、それだけじゃ説明しきれんものも、またある。

例えば、

怒られることに過敏。

頼るのが苦手。

人の顔色を見すぎる。

やたら反骨精神が強い。

こういうの。

これはどうやら、「生まれ持った性格」というより、「心のクセ」に近い。


で、この心のクセは、多くの場合、幼少期から青年期にかけて作られていくみたい。

親との関係。

学校での経験。

友人関係。

成功体験。

失敗体験。

こういうものが少しずつ積み重なって、

「ああ、自分はこうやって生きた方が安全なんやな」

って具合に、“無意識のパターン”を作っていく。

そんなイメージ。


人って案外、

今を生きながら、昔覚えた生存戦略で動いてる

うん、心当たりしかない(笑)。


☆子どもにとって親は「世界そのもの」

今にして思えば、子どもの頃の世界って、びっくりするほど狭い。

家と親。

学校と先生と友達。

近所と、たま〜に遠出先。

以上。

それがほぼ全宇宙。


だからまず、親の影響っていうのは、良くも悪くも絶大やと思う。

親が優しかったかとか、厳しかったかとか、そんな単純な話じゃなくて、もっと繊細。

親の機嫌を読む家庭やったか。

本音を言える環境やったか。

失敗しても大丈夫な雰囲気やったか。

無条件の愛を感じられたか。

何を認められ、何を認められなかったか。

こういう“微妙な空気感”が、ずっと心の深くに染み込むもの。

というか、まっつんスタイルの場合、そう考えんと納得がいかん(笑)。

実際、自分自身を振り返っても、大人になってからの人間関係が、その延長線上にあることが多い。

これを、「おもしろい」と言っていいのかどうかはわからんが(苦笑)。


人に頼れない人。

期待しすぎる人。

距離を取りすぎる人。

失敗にビビりすぎる人。

やたら一人を好む人。

まっつんスタイルがそうであるように、みんなそれぞれの歴史を背負ってる。

だから人間関係ってどうやら、今起きている問題だけじゃないんよね。

目の前の相手と話しているようで、実は昔の自分とも対話してる。

“昔の物語”も一緒に動いてる

そういうこと。


☆人生には「人格形成イベント」がある

ただし人格は、遺伝だけで決まるわけでも、親だけで決まるわけでもあるまい。

あってはならん(笑)。


人生では稀に、価値観そのものを書き換える出来事が起きるよね。

受験。

就職。

失恋。

結婚。

出産。

離婚

病気。

事故。

災害

移住。

転職。

邂逅。

別離。


こういう出来事は、それまで信じてきた世界を、一度壊してしまう。

まっつんスタイルにも、そういう経験はいくつかあった。

いや、さっきの全部ある?(出産以外(笑))

若い頃の挫折。

突然の別れ。

理不尽なあれこれ・・・。

振り返れば、そのたびに少しずつ、人生観が変わっていったような気がするよね。

“収斂されていった”というかな。


もちろん、当時はしんどい。

そんなもの、経験したいはずもない。

でも不思議なもんで、時間が経って振り返ると、

「あれがなかったら、今の自分はいないな」

って、これ、ホンマに思うんよね。

ありふれた物言いで恐縮やけど(笑)、でもホンマ。

人生って、順調な時より、むしろ転んだ時の方が学ぶことが多いんかもしれん。

性格が形成されるのも、だいたいそういう時。


☆痛みは人格の骨になる

若い頃は思ってたもの。

人を育てるのは、愛された経験やろうと。

認められた経験やろうと。

成功体験やろうと。

そうなると、まっつんスタイルなんか、めっちゃ不利やなぁと。

ひがみが止まらんかったもの(笑)。


でも歳を重ねて、見え方は変わってくる。

もちろん幸せな経験は大事。

愛された記憶も大事。

成功体験も大事。

でも、人間の“骨格”を作るのは、案外うまくいかんかった“痛い時間”の方なんかもしれん。

さっきも似たようなこと言ったけど(笑)。

孤独。

失敗。

喪失。

挫折。

報われなかった努力。

できれば、そんなもん少ない方がいい。

ホンマに痛いから(笑)。

「もう一回やれ」って言われたら、めっちゃジタバタする。

いや、全力で逃げる(笑)。

でも不思議なことに、人って痛みの前だと必死になるからね。

すると、

あの頃の痛みがあったからこそ、今の自分の考え方がある。

あの頃の孤独があったからこそ、人の寂しさが少し想像できる。

あの頃の失敗があったからこそ、うまくいかない人を笑わないで済んでる。

そんなふうに思えるようになる。


「痛みは人生の勲章」とか、さすがにそこまでは言わん(笑)。

でも確実に、“人格の骨”にはなる。

細かった骨が、太くなる。

そして、骨が太くなった人は、骨の細い人の気持ちが分かる。

それが、“痛い”の価値なんかもしれん。


☆ZENは過去を否定しない

ここで、ZEN(仏教)の話。


仏教っていうと、

「執着を捨てろ」

「過去を手放せ」

「心を無にしろ」

みたいなイメージつきがち。

でも実際は、そこまで単純で乱暴な話はしない。


禅のおもしろいところは、

親のせいにもせず、

全部自分の責任とも考えず、

ただ、現実を見ようとするところ。

幼少期の影響、ある。

環境の影響、ある。

運も、ある。

その中で、理不尽も、不条理も、“ありえへんこと”もある(笑)。

でも、それらを踏まえた上で、

「じゃあどう生きる?」

っていう方向に向かう。

これが“中道の哲学”。


過去を否定しない。

過去に縛られもしない。

“今、ここ”から、少しずつ整えていく。

禅って結局、その繰り返し。


ごめん、毎回、地味でつまんないオチ(笑)。

でもZENって要するに、“究極の処世術”の一つやから。

だから、どうしたってここに行き着く。

しゃーない(笑)。

まっつんスタイルは、そう思う。


☆過去は変えられない。でも意味は変えられる

「なんでこんな性格やねん」

「運がない」

「どうしようもない」

そんなことを何度思ったかしれん。

「もっと違う家庭やったら」

「もっと選択が順調やったら」

「もっと経済的に恵まれてたら、きっとこんな性格には・・・」

そんなことも、何千何万回も考えてきた。

でももう、違う。


あの経験がなかったら、今みたいにブログも書いてへん。

仏教にも出会ってへん。

人の心の「なぜ?」に興味を持つこともなかったやろう。

そしてなにより、自分自身について、ここまで深く考えることもなかったやろう。

そう考えると、人生ってホント不思議。

過去は変えられない。

起きたことも変えられない。

でも、

「あの出来事は自分を壊した」という物語で生きることもできるし、

「あの出来事が今の自分を作った」という物語で生きることもできる

同じ過去でも、人生を支配するのは出来事そのものじゃなく、それにどんな意味を与えるか。

またベタやけど、

過去は変えられない

でも、過去に与える意味は変えられる

結局は、そういうことなんやと思う。


生まれつきの性質は変えられない。

心の傷は消えない。

心のクセも、たぶん完全には消えない。

でも、そのクセと“折り合いながら生きること”は、できる。

で、案外そのクセこそが、自分らしさや魅力の正体やったりもする。

これ、ホンマ。


今の自分は、あの頃の続き。

でも、その“あの頃”だけで、性格や人生のすべてが決まるわけじゃなし。

というわけで今日も、ゆっくりと少しずつ、自分という物語を生きていくだけのこと☆


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