「子育て論」っていうと大体、
・自己肯定感を育てましょう
・共感しましょう
・認めてあげましょう
・自由に挑戦させましょう
みたいな感じなんかね?
まぁどれも、よく目にするような気がする。
もちろん、内容はもっと具体的やとは思うけど。
で、どれも大切なことやと思う。
間違いなく。
ただ、実際の子育ての現場って、
「そんな単純な抽象論でええなら、誰も苦労せんのよ・・・(苦笑)」
の連続なんやろね。
と、今日はそんなお話を、独身子なしのまっつんスタイルがお届けします(笑)。
☆夫婦仲が良くても、うまくいかないことはある
まっつんスタイルにも、子育て真っ最中の友人がいる。
一人は、夫婦間のギスギスを抱えながら、それでも、子供の夢を叶えるために身を粉にして働いてる感じ。
もう一人は、夫婦仲も良く、好きなことを好きなようにやってる感じ。
前者は、夫婦関係でも、お金のことでも苦労してるように見える。
後者は、円満そうで、自由そうで、何不自由ないように見える。
なら、後者の家庭は何の問題もないのかと言えば、どうやらそんなこともないらしい。
子供との関係では、いろいろあるようで・・・。
親の思いとは裏腹に、息子は反発を強め、親元を離れていったそうな。
一方、前者の子は、夢のために、自分なりにグイグイ道を切り開いてる、ように見える。
・・・いや、わからんもんやね(笑)。
まぁこれは、あくまで一例。
しかもどちらも、まっつんスタイルのレンズを通した、単なる印象。
外から見えるもんがすべてなわけない。
家庭の中で何が起きてるのかとか、子供の本音とか、本当のところはわからん。
親元を離れたことだって、それ自体が悪い結果とは限らんしね。
きっとどこの家庭も、さまざまな事情を抱えているもんなんやろう。
ただ、こういう話を聞いてると、改めて思うわけ。
良い家庭だから、良い子が育つ?
子育てって、どうもそんな単純なゲームではないらしいってことを。
まぁ「そんなん知ってた」って言われるかもしれんが、ここで改めて、ね(笑)。
☆子供は親のコピーではない
これまた当たり前の話、子供は親のコピーじゃない。
同じ家庭で育っても、必ず個性があるはず。
図太い子。
繊細な子。
楽観的な子。
悲観的な子。
同じ親。
同じ家。
似たような教育。
なのに、違う。
兄弟でも違うし、双子ですら全然違う。
いやはや、考えてみれば不思議な話。
最近やと、遺伝とか、先天的な気質の研究もどんどん進んでるらしい。
生まれ持った性格傾向が、ある程度存在すること。
これはもう、かなり周知のことかもしれんね。
まっつんスタイルは専門家じゃないから、これ以上詳しいことは語れんし、語らん(笑)。
ただ、自分自身の人生を振り返っても思う。
俺は、俺の父や母(の望んだよう)にはならんかったし、当然、父や母も、俺にはなれんかった。
またまた、今さら当たり前のことやけど、これが真実。
親は環境を整えることはできても、人格そのものや、望んだ未来そのままを作ることはできん。
子供には子供の人生があるんやからね。
☆幸福な親が、幸福な子を育てるとは限らない
以前、別の記事で、
「親の自己肯定感は大事」
「夫婦仲は大事」
っていう話(持論)を書いた気がする。
もちろん、そう思ってるから書いた。
でもそれは、
「とはいえ、万能薬じゃない」
って前提での話。
そりゃそう。
親の幸福と子供の幸福が、必ず一致するはずもないから。
親が幸せそうに生きてる。
それは素晴らしい。
どんどんそうあってほしい(笑)。
子供にとっても良い影響があるやろうと、まっつんスタイルは信じる。
でも、だからって、
親が幸せなら、子供も“必ず”幸せになる
これはさすがに言い過ぎ(笑)。
残念ながら、人間ってそんな単純じゃない。
子供には子供の世界がある。
子供には子供の悩みがある。
親には見えない孤独もある。
親には理解できない価値観もある。
生まれ持った気質もある。
学校や友人との出会いもある。
本人にしかわからん経験だって、山ほどある。
親が見ている世界なんか、子供の人生のほんの一部分なんやろね。
だから、
幸福は、伝染することはあっても、コピーすることはできない
これくらいの理解が、ちょうどいいんかもしれん。
☆だから仏教は2500年も残った?
「良い親でいれば、良い子が育つ」
「正しく向き合えば、子育ては報われる」
つい、そんなふうに考えたくなる。
でも現実は、そう単純じゃないらしい。
だからこそ、人は昔から、
「思い通りにならない世界と、どう付き合うか」
を考え続けてきたんやろね。
で、そんな話をしてると、なんで仏教が2500年も残ってきたのか、ちょっとわかる気がする。
「急にどこへ話が飛ぶねん?」
ってなもんやけど(笑)。
人生は理不尽。
努力しても報われんことなんか、山ほどある。
正しいことをしたつもりが裏目に出ることも、腐るほどある。
愛情が、思ったように届かないことだって、普通にある。
それはおそらく、子育てとて同じ。
仏教には、「無常」という考え方がある。
「すべてのものは移り変わり、同じ状態にはとどまらない」
そして「苦」。
これは単なる苦痛だけじゃなく、
「思い通りにならないことから生じる不満足」
なんかも含むらしい。
まっつんスタイル流に、超絶雑にまとめると、
世の中、思い通りにはならん
って話(笑)。
身も蓋もない。
ついでに底も、取っ手もない(笑)。
でも、たぶんこれ、子育てに限らず、人生を楽しむための大事な前提なんちゃうかね。
☆「しゃーない」は諦めではない
まっつんスタイルは、
「しゃーない」
「まえっか」
「知らんがな」
「どーでもええわ」
みたいな言葉が好き(笑)。
これ、「捨てばち」とか「投げやり」的な意味じゃない。
むしろ逆で、
現実を受け入れる、強さとしなやかさ
に近い。
人間ってどうしても、
もっと良い親に。
もっと稼いで。
もっと理解して。
もっと愛さなねば!
ってなりがち。
でも、どこまで行ったって、完璧になどなれはせん。
しかも、仮に親が完璧になれたところで、子供の人生まで完璧になる保証なんか、どこにもない。
子供が思い通りに育たんかった?
だから自分は、親として失格?
・・・いやいや、なんでやねん?(笑)
そもそも、子供の人生を親の成績表にするのが、なんかおかしいんちゃうかね?
親には親の人生がある。
子供には子供の人生がある。
親ができることは、できる範囲でやればいい。
その先まで、全部を自分の責任として背負い込むとか、そんなん、いらんやろ?
だから時々は、
「しゃーないな」
って言う。
声に出す(笑)。
すると、少しだけ肩の力が抜ける。
これは、子供の人生を諦める言葉じゃない。
むしろ、子供の人生を、親の思い通りにしようとする執着から解放する言葉。
・・・なんか、ええこと言うたんちゃう?(笑)
子育ても、所詮は「無常」。
「まえっか」
でさらりと流すのも、時には必要なんかもよ。
☆それでも親にできること
閑話休題。
子供の願いを叶えてやることも大事。
将来困らんように、あれこれ準備してやることも大事。
でも結局、親にできることなんて、案外ベタでシンプルなことやったりするんちゃうかなと。
独身子なし男は思う。
それは、
照れずに愛を表現すること。
子どもに伝わるように見守ること。
真剣に話を聞くこと。
全力で応援すること。
心から信じて待つこと。
いつでも一緒に笑うこと。
たまに、一緒に失敗すること(笑)。
たぶん、このへん。
で、結果までをすべてコントロールしようとしない。
まぁここが難しいとこなんやろけど、でもだからこそ大事。
親も子も、苦しくならないポイントが、きっとそこにある。
親は、土を耕すことはできる。
種を蒔くことも、水をやることもできる。
でも、どんな花が咲くかまでは決められない。
ここが苦しいところやし、同時に尊いところでもある。
そんな感じ?
なんか、いかにも「無常」っぽい(笑)。
☆おわりに
子育ても。
夫婦も。
仕事も。
人生も。
全部、無常。
常に変化するし、決して思い通りにはならん。
ならんけど、だからこそおもしろい。
だからこそ愛おしい。
だからこそ、人は誰かを大切にできる。
そうじゃないかね?
・・・なぜか締めが仏教?(笑)
完璧じゃなくていい。
今日できることをやる。
あとは流れに身を任せる。
良い親になろうと頑張る。
子供のために、できることをする。
それでも、子供は思い通りには育たない。
そりゃそうや。
別の人間なんやから(笑)。
でも、だからこそ、親も子も、それぞれの人生を生きていけるやとも思う。
親は親で、今日を楽しむ。
子供は子供で、好きに育つ。
たまに一緒に笑えたら、なおよし。
そんな子育てができたら、なんかええなぁって思う。
子育ても人生も、思い通りにはならん
だから、完璧を目指しすぎず
我が子の可能性を信じて、今日の子育てを楽しんでほしい
独身子なしのまっつんスタイルが、遠くから祈っとるよ(笑)☆


コメント