哲学は「人生の取説」 〜東洋思想家に学ぶ「日常のメンテナンス法」〜


「哲学」って聞くと、

・難解

・抽象的

・偉い人の学問

・現実離れしてる

・意味不明

そんなイメージを持つ人が多いかもしれんよね(笑)。

例えば、東洋哲学の巨人たち。

孔子、老子、荘子、釈迦、龍樹・・・。

名前を聞いただけで、

「うん、なんか別世界・・・」

って、そっぽ向きがち(笑)。

でも実際、彼らがやってたことって何かっていうと、

“人生のメンテナンス”

なんよね。

きちんと読み解けば、そんな堅苦しいことばかりじゃないって思えてくる。

「精神が壊れないようにするには?」

「人と揉めないためには?」

「欲に飲まれないようにするには?」

「苦しみとどう付き合えばいい?」

「自分の心ってどう整える?」

実はそんな、めっちゃ生活密着型の話やったりする。

もうちょい別の言い方をすると、

「今日という日を、いかに気持ちよく生きるか」

この一点を、何千年も前に考え続けてた人たち、とも言えるかもしれん。

哲学を、「なにやら高尚な学問」って捉えるより、

“人生の整備マニュアル”

って捉えてみる。

というわけで今日は、孔子、老子、釈迦なんかの思想を、まっつんスタイル流に噛み砕いてみることにする。

まっつんスタイル流に(笑)。


☆ 孔子:「礼」── 人間関係の潤滑油

まずは、有名な孔子さま。

「儒教」とか『論語』の人やね。

その孔子が大事にしたのが、

「礼」

これがまた、誤解されやすいやつ。

別に礼儀作法とか、堅苦しいマナーみたいな話じゃなくてね。

本質は、

“人間関係の摩擦を減らす技術”

やと、まっつんスタイルは捉えてる。

・挨拶する

・感謝を伝える

・言葉遣いを整える

・相手を立てる

とかとか。 

これって全部、機械で言う“潤滑油”みたいなもんなんかなって。

放っておいたり、雑に扱ったりしてたら、人間関係なんてすぐに“軋む”。 

だからこそ、

「日々ちょっとずつ“メンテ”して、滑らかに保とう」

って発想。 

だから孔子って、

「今日も、嫌ったり嫌われたりせずに済む自分でいようや」

っていう、超地味〜なことを言ってるだけ。

でも、その超地味〜なことが、超尊かったりするわけ。

・・・どう?

超まっつんスタイル流やけど、哲学なんて言っても、別に難しくないやん?(笑)


☆ 孟子:「命」── コントロール不能を受け入れる

孟子は、孔子の「儒家の教え」を発展させた人。

人間の善性を信じた「性善説」が有名やけど、実はかなり“脱・結果主義的”でもあるんよね。

で、もうひとつ、孟子の重要な思想が、「命(めい)」の思想。

この「命」って、よくある運命論っていうより、

「自分の手の届かないものを認める感覚」

ってことかなって思う。

努力はする。

でも、結果までを握りしめようとしない。

ここたぶん、現代人のめっちゃ弱いとこやんね(笑)。

・成果

・数字

・評価

・PV

・フォロワー

全部を、自分でコントロールしたくなる。

でも孟子は、

「やることやったら、あとは天に任せたらええやん」

って言ってる。

これ、日本の「浄土教」とか、あとで書く「道教」も近いんかもしれん。

この「命」も、誤解されまくりやけど、「諦め」とはちょっと違うからね。

むしろ、

「過剰操作」しようとすることを、上手に手放して生きる“知性”

とでも言うべきかなと。

これもまさに、日常に即した哲学やと思わん?


☆ 荀子:「礼」── 感情を信用しすぎるな

荀子は、孟子のさらに後の人で、孔子の教えをさらに細かく整理・深化させた人。

孟子が、「人は善」って言ったのに対して、荀子は、

「いや、人間なんて、放っといたら普通に欲望まみれになるやんけ!」

って言った(笑)。

これが「性悪説」。

めちゃ現実派。 

でも、だからこそおもしろい。 

「じゃあどうすんねん?」

ってとこ。

荀子は、感情や本能をそのまま信じない。

代わりに、

・教育

・学習

・習慣

・型

・ルール

こういうものによって、自らを整えようとした。

つまり、

“仕組みで自分を動かす”

って発想かな。

「やる気」でなんとかしようとするんじゃなくて、“環境や習慣を整える”。

なんか聞いたことあるよね?(笑)

これ、思いっきり現代でも重要なやつ。 

荀子は、

「人間って、自然に完成するもんちゃう」

「やから、仕組み化された環境整備が大事やねん」

って言ってるんよね。

なんていうか、めっちゃ職人っぽい。

現代自己啓発の、そのままズバリの元ネタって感じでもある(笑)。


☆ 老子:「無為自然」── 余計なことはすんな

次は老子。

「道家思想」の代表的人物。

「ありのまま」みたいなイメージの人。

老子が現代人を見たら・・・、たぶん笑うんちゃうかな?(笑)

・情報詰め込みすぎ

・頑張りすぎ

・自己分析しすぎ

・比較しすぎ

・意識高すぎ(笑)

全部、

“過剰メンテ”

老子にしたら、

「いや、やりすぎやろ?」

ってなもんかもしれん(笑)。

老子の「無為自然」も、よく誤解されるやつ。

これ、「何もしない」って意味じゃないんよね。

そうじゃなくて、

「余計なことをしすぎない」

って感覚のことやと、まっつんスタイルは思う。

例えば・・・、ブログ?

「もっとおもろく書かねば」

「毎日更新せねば」

「PV伸ばさねば」

「あのテクニックも、あのプラグインも、あのファネルも・・・」

「もっと! もっと!」

こんな神経で、あれもこれもやりこんでたら?

たぶんいずれ書けんくなる。

逆に、

「自然と書きたくなるまで待つ」

これくらいの感覚でいる方が、急に言葉が流れ始めたりする。

老子は、それを知ってた。

この感覚、まっつんスタイルも、最近なんとなくわかる。

人生は、“操縦”しようとするんじゃなくて、

“航行”するもん

として捉える。

風が吹けば帆を張る。

凪なら、任せて漂う。

それでもちゃんと、進んでると知る。

これ、現代やと、かなり勇気がいるとこかもしれん。

でもこの、

「大きな流れに身を任せる(逆らわない)」

っていう発想?

これもまた、日常に活かせる大事な“知恵”のひとつやと思うのよね。


☆ 荘子:「遊」── 壊れてもええやん

荘子は、老子と並ぶ「道家思想」の代表的人物。

東洋思想界の詩人であり変人(笑)。

でも、めちゃくちゃいいこと言ってる。 

荘子のメッセージは、

「そんな必死にならんでもええやん」

ってこと(笑)。

あるいは、

「もっと遊ばなあかんで」

・比較

・勝敗

・成功

・正しさ 

人、特に現代人は、こういうものに縛られすぎ。 

だから荘子は、

「世界なんか、元々フワフワした夢うつつにすぎん」

って言って、“笑う”。 

壊れてもいいし、迷ってもいいし、わからんままでもいい。  

この“遊び”があるから、人は折れずに生きられる、と。 

だから、荘子の言ってることって、

“心のサスペンション”のメンテナンス

やね。

どうこの比喩?

「ガチガチのまま走っとったら、“人生の段差”で壊れてまうで〜」

みたいな?(笑)


☆ 釈迦:「執着」── 苦しみの正体

次は、お釈迦さま。

言わずと知れた、仏教の開祖。

釈迦が見抜いたのは、

「人生はなぜ苦しいのか?」

っていう苦しみの構造。

その大きな原因のひとつが、

「執着」

なんよね。

で、まっつんスタイルが特におもしろいと思うのが、物事をあれこれ分けて、それに執着してしまう人間の性質。

例えば、

・良い/悪い

・成功/失敗

・勝ち/負け

・自分/他人

「分別」すればするほど、今度は「自我」が強くなる。

で、自我は、「意味」とか「価値」を、“過剰に”作り始める。

すると?

人は苦しくなる・・・。

そう考えると、

「その境界、ホンマにそこまで絶対的なもんなん?」

って問いも生まれてくる。

つまり仏教の教えって、

“世界の見え方のメンテナンス”

なんかなと。

「いちいち分別しない」って考えるだけで、人生は少しだけ、生きやすくなる。

これまた、仏教哲学という名の、「生活の知恵」よね。


☆ 龍樹:「空」── 実体なんてない

最後は龍樹。

龍樹は、釈迦の思想を極限まで深めた人。

もっとメジャーな存在になってもいいと思う(笑)。

彼の言った、有名な「空(くう)」は、

「何もない」

じゃなくて、

「すべては、つながりの中で、一時的に存在してるだけ」

っていう感覚のこと。

例えば、「自分」っていう存在。 

これも、

・記憶

・身体

・環境

・関係性

・時間

こういうものが、

「“たまたま”、今この瞬間に組み合わさってるだけ」

って考える。

つまり、固定された「自分」なんてない。

だから、昨日の失敗を、一生背負う必要もない。

おかしな人間関係が、永遠に続くこともない。

“何ものも、それ単独で成立する、固定不変の実体じゃない”

これが「空」の哲学。

龍樹の「空」は、差し詰め

「世界観のメンテナンス」

かな。

「実体のない世界」に気づくと、執着が緩む。

執着が緩むと、呼吸が通り、雑念が薄れ、人生が少し、軽くなる。

・・・さすがに「空」は、「生活の知恵」というには難解かな(笑)。


☆ 結局、哲学って?

ここまでいかが?

まっつんスタイル流、東洋哲学解釈ライト版(笑)

で、なんとなく気づいたかな?

孔子も、老子も、釈迦も、みんな言ってることは違うようで、根っこはかなり似てる。

それは、

「人間、どうすれば、壊れずに生きられるか」

っていう問いと、その回答。

まっつんスタイルはそう思う。

で、哲学は、冒頭で書いた、

“人生を走り続けるための整備術”

オイルを差す。

排気を整える。

余計な荷物を降ろす。

壊れたら修理する。

動きすぎたら休ませる。

で、また、静かに走り出す・・・。 

そのための、ちょっとした知恵のこと。

それだけ。

それが、まっつんスタイルが思う、哲学。


☆ 結び:「哲学 = 魂の定期点検」

「哲学って、そんな難解でもないかも」

そう思ってもらえたら、この記事を書いた意味があったかな。

実際はそんな、“遠い世界の小難しい屁理屈”ってわけじゃない(笑)。 

もっと身近で、もっと生活的で、もっと人間臭いものやと思う。

「今日はちょっと呼吸が浅いかも」

「最近イライラしてんなぁ」

「なんか無理しすぎ?」

その小さな違和感に気づいて、静かに心身を整える“術(すべ)”。

整備でありメンテ。

それが、孔子であり、老子であり、釈迦。

で、たぶん『まっつんスタイル』も(笑)。 


哲学は、魂の定期点検マニュアル 

今日もただ、気持ちよく走るため。

「静かに心のオイルを差そう」

そんな感じやね☆


コメント

コメントする