よく知らんのに「なんかわかる」の正体 〜まっつんスタイル的「直感知」の話〜


なんかさ、

「よく知らんのに、わかってまう」

ってこと、ない?

・・・。

意味わかるかな?(笑)

例えば、

出会った相手のこと、

もちろん全部知ってるわけじゃない。

映画や文学作品の、

細かいところまで網羅してるわけでもない。

歴史や時事ネタの、

背景や文脈を全部学んだわけでもない。

でも、

「あぁ、うん、なんかわかる」

ってなる。

なんやろね、

この感じ?

単なる勘違い野郎?(笑)

でもたしかにあるのよ。

最近のまっつんスタイルでいうと、

シンディー・ローパー。

別に、

昔からずっと追いかけてきたわけじゃない。

ディスコグラフィーが、

全部頭に入ってるわけでもない。

でも、

あの声を聴いて、

あの佇まいを見て、

「あぁ、この人って、なんかこういう感じよね」

って、

脳の中に、

先に“何か”が来る。

いや、さっきも言った、

ただの思い込みかもしれん。

実際の本人なんて、

知り合いでもなんでもない(笑)。

でもこの、

「細かいことは知らんのに、全体の“感じ”だけ先に来る」

みたいな感覚。

まっつんスタイルには、

けっこう昔からあるんよね。

しかも、

なんていうか・・・。

この感覚には、

妙に自信がある(笑)。

今日はそんな、

「まっつんスタイルのこの“わかる”って感覚、なんなんやろ?」

を、

ちょっと真面目に考えてみる。


☆「知る」より先に「わかる」?

普通に考えたら、

何かを理解するって、

まず、

「知る」

から始まるもんやん?

情報を集める。

見る。

読む。

聞く。

比べる。

そうやって、

だんだん全体が見えてくる。

でも、

まっつんスタイルの場合、

ときどき順番が逆になる。

「なんかわかる」

↓

「で、実際どうなん?」

みたいな?

これ、

もしかして、

なんか感じ悪い?(笑)

まぁでも聞いて。

細かい情報が入ってくる前に、

なんとなく、

全体の輪郭みたいなものが、

先に見える。

人でも、

何かの作品でも、

何かの出来事でも。

わかってる。

それが正解かどうかは、

その時点ではわからん。

全く別の話。

でも、

「たぶん、こういう感じ」

が先に来る。

で、

あとから知識を入れていく。

すると、

「あぁ、やっぱりそんな感じやったんや」

となることもあれば、

「全然ちゃうかったわ(笑)」

ってなることも、もちろんある。

この、

知識よりちょっと先に来る、

“何か”。

まっつんスタイルは、

勝手にこれを、

「直感知」

と呼んでみようと思う。

これって、

意外と誰にでもあるものなのか、

まっつんスタイルの特殊能力なのか・・・。


☆「わかる」と「わかった気になる」の“あわい”

いや、

最初に一個、

めちゃくちゃ大事な問題を書いとく。

「それ、ホンマにわかってんの?」

ってこと。

さっきは間違うこともあるって言ったし(笑)。

例えば、

シンディー・ローパーを見て、

「この人はこういう人や」

と感じたとする。

でも、

ホンマにそうなんか?

・・・知らん。

知りようがない(笑)。

そもそも、

人間なんて、

近くにいる人ですら、

全部はわからんもん。

ってことは?

この、

「なんかわかる」

と、

「わかった気になってるだけ」

の境界って、

どこなんやろ?

・・・。

前の記事風に言うなら、

ここにも、

“あわい”

がある(笑)。

直感なのか。

思い込みなのか。

経験から来る勘なのか。

ただの好みなのか。

たぶん、

そんな綺麗には分けられへん。

ただ、

そんな曖昧なものではあるけど、

まっつんスタイルは、

「直感知」がある。

あるのよ(笑)。

で、この「直感知」が、

なんか好きなのよ(笑)。


☆「本質を見抜く」は、さすがに言いすぎか(笑)

本音を言うと、

さっきから書いてる「直感知」。

「物事の本質を瞬時に見抜く力」

とか言いたい(笑)。

なんかカッコええやん?(笑)

「隠れた才能」とかも言いたい。

実際、

「なんとなくこうやろな」

と思ったことが、

あとから知っていくうちに、

「やっぱりな」

ってなる経験は、

何度もある。

だから、

この感覚そのものを、

疑ってるわけじゃない。

むしろ、

自分では、かなり信用してる。

でも、

よく考えたら、

本質を見抜けてるかどうかなんて、自分ではわからん(笑)。

当たったことは覚えてて、

外れたことは忘れてるだけかもしれんし。

単純に、

自分の好きなように見てるだけかもしれん。

そもそも、

「本質ってなんやねん?」

って話になる(笑)。

だったら、

もうちょい言い方を変えて、

「本質を見抜く」より、細部より先に、“全体の感じ”を掴む

くらいが、

しっくりくるかな。

それでも、

十分おもろい能力やと思うし(笑)。


☆言葉にすると逃げていくもの

で、

この「直感知」って、

どうも、

言葉にしにくいものほど、

働きやすい気がする。

例えば、

強いけど、

意外と脆い。

美しいけど、

なぜか怖い。

好きやけど、

全部に同意はできん。

やさしいけど、

なんか冷たい・・・。

こういう、

一言で切り分けにくいもの。

前の記事で書いた、

「あわい」

みたいなものやね。

白、黒。

100、0。

「どっち?」

って聞かれたら、

「いや、そこじゃないねん(笑)」

ってなるような。

そういう、

言葉にした瞬間、

ちょっと逃げていくもの。

まっつんスタイルは、

どうもそういうものの、

襟首を掴むのが好きらしい(笑)。

で、掴んだ瞬間、

説明できるより先に、

「あぁ、なんかわかる」

が来る。

これが、

さっきから連呼してる「直感知」なん・・・、

かもしれん。


☆直感を信じるのは、怠惰なのか?

ただ、

この感覚を、

「自分の特異な能力」

とか認めようとすると、

頭のどっかから、

別の声も聞こえてくる。

「それ、ちょっと傲慢ちゃうん?」

「知ろうとする努力を放棄してない?」

「怠けてんのを、才能ってことにしてるだけちゃう?」

「ていうか、お前誰やねん?(笑)」

・・・。

たしかに、ちょっとイヤなやつ(笑)。

でもこれは、

我ながら大事なツッコミやと思う。

だって、

「いや俺、直感でわかるから」

で全部終わらせたら、

それこそ、

ただの思い込みになりかねん。

なんなら、

めちゃくちゃ面倒くさい奴になる。

で、どっかで事故る(笑)。

だからここ、

まっつんスタイル的には、

直感は、

“答え”じゃなくて、“入口”

くらいでいいんかなと。

「なんか、こういう感じするよな〜」

って思う。

そこから、

見る。

調べる。

考える。

人の話を聞く。

書いてみる。

で、

違ってたら、

「あ、ごめん、ちゃうかった(笑)」

でいい。

直感を疑いすぎる必要もない。

でも、

直感を正解にする必要もない。

このくらいの“あわい”が、

ちょうどいいんかなって(笑)。


☆「この人はこうだ」と「俺はこう感じた」

ここまで考えて、

一個、

かなりしっくり来る違いがある。

「この人は、こういう人だ」

と、

「俺は、この人をこう感じた」

って、

似てるようで、

全然違う。

例えば、

シンディー・ローパーが、

ホンマに、

「反骨と慈悲のハイブリッド」なのか。

それはわからん。

正確に言おうとすれば、

「わからん」としか言いようがない(笑)。

でも、

まっつんスタイルが、

彼女の歌や佇まいに、

「強いのに、やさしい」

みたいなものを“感じた”ことは、

これホンマ。

相手の本質を、

ズバリ言い当てたのかは、

わからん。

でも、

「俺は、ここに反応した」

なら、

少なくとも、

自分の感覚としては嘘じゃない。

そうやん?

これ、

結構大事な視点やと思う。

「わかる」って、

相手の正体を当てることだけじゃなくて、

自分が何に反応してるのかを知ること

でもある。

この解釈。

今思いついたけど、

なかなかおもしろい(笑)。


☆好き嫌いは、かなり優秀なセンサー?

そう考えると、

「好き嫌い」って、

思ってる以上におもろいかもしれんね。

まっつんスタイルは、

善悪とか、

正誤とか、

優劣とか、

そういうもので、

なんでもバッサリ切りたくはない。

でも、

好き

嫌い

は、

わりと大事にしてる。

だって、

「嫌いやけど、理解はできる」

ってあるやん?

逆に、

「好きやけど、全部を正しいとは思わない」

もある。

この感じ、

まっつんスタイルは、

めっちゃ好き(笑)。

好き嫌いって、

世界の正解を決めるものじゃない。

でも、

「自分がどこに反応したか」

は、

かなり教えてくれる。

だから、

「なんか好き」

「なんかイヤ」

「なんか気になる」

そういう、

“理由になる前の小さな反応”。

案外、

そこから考え始めることって、

多いんよね。


☆「わかってないなぁ」と思ったとき

あと、

この話には、

もう一個おもろい視点がある。

人と話してると、

普通にあるやん?

「あぁ、この人、全然わかってへんなぁ・・・」

って思う瞬間。

これも感じ悪いな(笑)。

でも正直、ある。

ただ、

最近はそのあと、

もう一個、

別の感覚が出てくる。

「あぁ、でもこれ、見てる角度が違うだけなんかなぁ?」

って。

同じものを見てても、

立ってる場所が違えば、

見えるものも変わる。

経験も違う。

大事にしてるものも違う。

そもそも、

「わかった」

の意味自体が違う可能性だって、

普通にある。

だから、

「わかってへんなぁ」

って思ったところで、

即、

「こいつアカンわ」

にはならんでいい。

なるのは早計かな。

もったいない。

いくら直感が鋭くても、

違う角度から見た景色を、

想像するくらいの余白は、

残しときたいと思うよね。


☆じゃあ「なんかわかる」って、結局なんなんやろ?

で、

最初の話に戻る。

「よく知らんのに、なんかわかってまう」

この感覚。

「これは本質を見抜く能力である!」

とか、

言えたらカッコいい(笑)。

今も、

そういう部分があるんちゃうかなとは、

うっすら思ってる(笑)。

この感覚への自信も、

別に捨てるつもりはない。

でも、

今はもう少し、

違う見方もしてる。

直感って、

答えを知ってる力じゃない。

むしろ、

「ここ、なんかあるで〜」

って、

自分の中で、

小さく反応するセンサーみたいなもの。

そこから、

知る。

考える。

経験する。

間違える。

また考える。

そうやって、

最初に感じた輪郭が、

濃くなることもあれば、

まったく別の形になることもある。

そんな捉え方でええんかなって。


まっつんスタイルの言う、

「直感知」。

それは、

「なんか気になる」

「なんかわかる」

「ここ、ちょっと引っかかる」

そんな、

“問いの入口”を見つける感覚。

それなら、

まっつんスタイルは、

昔から結構使ってきた気がする。

そして、

これからも、

わりと信用してみようと思う☆


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