☆なぜ鳥は、軽やかに見えるのか?
鳥はいい。
地面に縛られず、飛び、去り、またフワリと来る。
軽やかで自由、安全で快適(笑)。
ちょこちょこ跳ね回る鳥も、悠然と羽ばたく鳥も。
あの姿を見ていると、まぁ羨ましい(笑)。
人間なら誰もが一度は憧れる存在。
じゃあ、仏教においての鳥はというと、それは、“執着しない生き方”の象徴として語られてきたのよね。
もちろん、投げやりな無責任さなんかとは違う。
むしろ逆。
鳥の軽さは、“背負わないと決めた覚悟”から生まれている。
仏教の世界ではそのように考えられてきた。
こんなふうに言われると、鳥に対する意識が、また違うものに変わりそうな気がするよね?
☆出典|鳥の譬えが語るもの
初期仏教の経典には、鳥を引き合いに出した比喩がいくつも登場する。
- 鳥は巣に執着しない
- 餌を得ても溜め込まない
- 飛び立った痕跡を残さない
鳥は空を行き、跡を残さない
この譬え(たとえ)が示すのは、まさに“過去に縛られない在り方”そのもの。
人は往々にして、成功も失敗も、後悔も誇りも、ぜーんぶ背負おうとするもの。
でも鳥は、空を渡ったことを振り返らない。
ただ、次の瞬間を生きてる。
いいよね。
いかにも仏教の世界観を体現してる存在。
☆仏教的な意味|自由とは「軽さ」
仏教における自由ってのは、
- 何でもできること
- どこへでも行けること
とかって、そんな単純なものじゃなくてね。
仏教における自由は、
何にも引っ張られないこと
鳥をメタファーとしてみると、こんなふうに言うことができると思う。
鳥は、荷物を持たない。
義務も、期待も、見栄も、背負わない。
その結果として、飛べているだけって考える。
自由って、力じゃなくて、軽さの問題。
そんなふうな視点で、人間(自分自身)に当てはめてみたらどやろか?
☆なぜ「空」なのか?
鳥が生きてる場所は、地じゃなくて「空」。
空は、
- つかめない
- 固定できない
- 所有できない
だからこそ、鳥はそこを選ぶ。
これ、気づいたかもしらんけど、仏教で語られる「空(くう)」も、同じ性質を持ってるよね。
「空」とは、“無”であり、同時に、あらゆる可能性の場と考える。
鳥は、その不確かさの中で生きることを、恐れない。
そう考えると、鳥が仏さまのようにも思えてくる。
☆生き物としての鳥
じゃあ生き物としての鳥は?
これがとっても合理的。
- 毎日、必要な分だけ食べる
- 同じ場所に固執しない
- 危険を感じたら、すぐに飛び立つ
軽い者ほど、生存率が高い
これ、意外と自然界の現実。
鳥は、溜め込まないからこそ、いつでも軽やかに逃げられる(笑)。
☆まっつんスタイル語訳|鳥とは何か?
そして、「鳥」を、まっつんスタイルで翻訳する。
- 過去を引きずるな
- 先の不安を溜め込むな
- 今日をちゃんと生きろ
- 所有に執着するな
- 荷物は手放せ
さしずめこんな感じかな。
軽くなれば、飛べる。
これは陳腐な精神論じゃなくてね。
世界の、人間という生き物の構造の話。
まっつんスタイルはこう訳す。
☆エロモテZEN的・現代解釈
重い男は、過去を語りすぎる。
- 昔の武勇伝
- 失敗の言い訳
- 未来への不安・・・
これらは、無意識の“お荷物”。
聞いてて重い。
「知らんがな」としか言いようがない(笑)。
じゃあ“鳥的な男”はというと?
- 今の自分で立ってる
- 去るときはサラリと去れる
- 執着を匂わせない
なんとなく爽やかで気持ちいい。
この身軽さが、不思議な魅力として漂うんやと思う。
☆小さな実践|今日の鳥
さてさて、今日できる“鳥”。
それは、とにかく身軽になることを意識してみること。
同時に、“今”を意識してみること。
- 余計な予定を一つ消す
- 過去の話を一つ手放す
- 今日の空を見上げる
飛ぶ準備は、いつでもできる
自分が大事だと思ってるものを一回手放してみる。
そのとき、思いがけない体感が味わえるかも。
☆今日は鳥になってみよう
自由は、あれもこれも手に入れたあと、その遥か先にあるもんじゃなくてね。
意外と、そっと荷物を置いた身近な場所に、もうすでにあったりする。
というわけで、今日は、鳥になろう。
手放せば、いつでもどこでも飛べる☆


コメント