“すごい人”幻想から降りたらラクになる話 〜凡人であることの強さ〜


こないだ、たまたま入ったカフェで、向かいに男の人が座ってさ。

その人が首に社員証下げてて、「サントリー」って書いてあって、そんとき思ったのよ。

「うわ、サントリーやって。なんかすごそう」

って(笑)。

でこれ、これまでのまっつんスタイルなら、よーわからん敗北感やら劣等感やらが湧いてきて、一人ドヨ〜ンってなってたやつやと思う。

ね?、浅はかやろ(笑)。


でもこういう場面ってけっこうあることない?、ぶっちゃけた話。

例えば、

  • 学歴が高いっす
  • 誰でも知ってる大企業に勤めてます
  • 〇〇な資格持ってます
  • 本を出してます
  • 講演とかやってます
  • 英語がペラペラっす
  • 海外出張してます・・・

こういう人に出会うと(話を聞くと)、俺らってついつい思てまうやん?

「え?、めっちゃすごい人ちゃうん?」って。


でもさぁ、これ思うのよ。

その人ら、そこまで俺らと違うもんなんかなぁ?

「ホンマに俺らが思ってるほど“すごい人”なんかなぁ?」

って(笑)。

いや、なんでこんな話をしだしたかっていうと、実際さっきのサントリーの人、そのへんの貧相な中年オヤジにしか見えんかったから(笑)。


正直なところ、実際この手の人らと話してみたら、拍子抜けすることない?

「なんやフツーやん?」って。

  • だらしなくて自信なさげやったり
  • 意外と不安とか迷いだらけやったり
  • 裏では人間関係ぐちゃぐちゃやったり・・・

「え、こんなすごそうやのに俺と一緒やん?」って思うこと、よくある。


実際、まっつんスタイルの知っとる人にもおるよ。

  • 実はめっちゃ夫婦仲悪い人
  • 持病に苦しんでる人
  • 子供がグレてもうた人
  • 借金まみれの人
  • 意外と孤独な人・・・


もちろん、“マジもんの人”はおる。

笑てまうくらい“マジもんの人”、これもフツーにおる。

それは否定せん。

でも同時に思うのよ。

「俺らが勝手に作り上げとる“すごい人像”、ちょっと盛りすぎちゃう?(笑)」

って。


たぶん俺らは、なんか一つの属性を見て、それをその人の全人格にまで拡張して評価してまうんやろね。

  • 学歴すごい → 人間としてもすごい
  • 肩書きすごい → 生き方完璧
  • 実績がある → 悩み少ない

みたいな。

でも実際は、んなことない。

人間なんてどこまでっても凹凸だらけ

一点が異様に強い代わりに、他はポンコツ。

そんな人、山ほどおるよね。


そもそも「すごさ」って、才能の差っていうより、“エネルギーをどこに集中させてるか”の問題な気がするんやけど、どやろ?

要するに“選択の問題”。

多くの“すごい人”って、たぶんやってることが少ないのよ。

迷わない、っていうより、迷わない仕組みを作ってる。

そんな感じ?

同じことを、淡々と、長い時間、繰り返しやり続けてるだけ。

結果、凡人から見ると「なんでそこまで行けるん?」っていうふうに見える。

でも案外本人は、「いや、これくらい普通やん?」って顔しとる、みたいな

まっつんスタイルの「“すごい人”意外とフツー説」の所以。


で、こっからがさらにまっつんスタイル。

じゃあ俺らは、その“すごさ”を前にして、なんでドヨ〜ンってなるんやろか?

なんかちょっと凹むやん?、すごそうな人見ると(笑)。


これ、たぶん理由はシンプルで、

自分にないものを、相手に過剰投影してるから

  • 自分が諦めた道
  • 怖くて踏み込めなかった場所
  • 選ばなかった人生

そこをただ歩いてるだけの人を見て、勝手に神格化してるだけ。

実在の誰かっていうか、自分の中で作り上げた幻想に嫉妬してるんやと思う。

そら、しんどいし意味わからんわな(笑)。


ここ、一回“ゲームのルール”を変えてみるとこちゃうかな。

その架空の“すごさ”を追いかけるの、もうやめてみようぜってこと。


凡人であることって、意外と悪くないからね。

  • 器用貧乏
  • 中途半端
  • 突出した才能なし

でもその代わり、

  • いろんなことに興味を持てて
  • 人の痛みがわかって
  • 日常に小さな喜びを見出せて
  • 過剰なプレッシャーを負うこともなく
  • 浮き沈みが少なく淡々と生きていける

これ、人生を長距離で走るには、ええスペックやと思うけどね。

派手じゃないかもしれんけど、心身の負担が少なくて、そして折れにくい。


  • “すごい”って、実はよーわからん
  • 人生は勝ち負けだけじゃない
  • 他人と比べるとか無意味

この人生の基本をもう一回思い直してみる。

で、自分の価値観で、自分のペースで、自分の人生を、自分のやり方で、深く味わえばいいって考える


俺らがドヨ〜ンってなってた相手って実は、

「実在する誰か」やなくて、俺ら自身が作り上げた“すごい人像”やったんちゃうか?

そこに気づけたら、嫉妬も劣等感も、もうほとんど存在感がなくなると思うのよね。


凡人であることって、別に負けでも妥協でもないから。

むしろ、世界をちゃんと味わうためのちょうどええ立ち位置なんやと、まっつんスタイルは思う☆


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