仏教動物園⑥|鹿(シカ) 〜静かな場所でしか起きない悟り〜


☆なぜ最初の説法は「鹿のいる場所」だったのか?

鹿と仏教。

実はかなり密接でね。


お釈迦さまが悟りを開かれたあと、最初に法を説かれた場所。

その場所は、「鹿野苑(ろくやおん)」と呼ばれてる。

鹿の野の苑。

インド・サールナートにある、その名の通り、鹿の集う静かな場所

そこには、怒号も歓声もなければ、罵声も賞賛もない。

あったのは、乾いた風と、土の匂いと、鹿の気配だけ・・・。


そう、悟りは、人間が集まりすぎた場所では起きないんよね。


評価が飛び交い、勝ち負けが渦巻き、正しさがぶつかり合う・・・。

そんな場所では、人の心は外に引き裂かれる。

悟りは、“静かな場所で、自分の声を聞き、その声すら聞こえなくなったとき”にだけ起きる

「鹿野苑」という名前は、そのことを見事に表してる。


☆出典|「鹿野苑」という象徴

「鹿野苑」は、お釈迦さまが五比丘(釈迦の最初の5人の弟子)に向けて、最初の説法を行った場所。

そこで語られた教えは、奇跡でも、ましてや過激な革命思想でもない。

語られたのは、

極端に走るな。中道を歩め

って、たったこれだけ。


派手さも何もない。

でも、苦行が主流だった当時のインドに静かな波紋をもたらした。

この言葉がなかったら、仏教は始まらなかった。


鹿が静かに闊歩し、草を食む場所。

この静けさこそが、教えの器になった。

そんな感じ。


☆仏教的な意味|鹿は「やさしさ」の象徴

仏教において鹿は、やさしさと調和の象徴

鹿は、

  • 温厚で
  • 警戒心が強く
  • 無用な争いをしない

そんな生き物。

彼らは、暴力的な環境を好まない。

常に角を突き合わせ、力を誇示し合う場所に、鹿はいない。

鹿は、静かな場所を選ぶ生き物だから。

これって、悟りの条件そのもの。

・・・なんか書いてるだけでやさしい気持ちになる(笑)


☆なぜ「野」なのか?

鹿野苑の「野」は、完成された庭園ってわけじゃなくてね。

ここで言う「野」は、

  • 管理されていない
  • 競争が少ない
  • 評価が届きにくい

そんな“余白のある場所”のこと。


仏教は、王宮でも、競技場でも、市場(バザール)でも始まらなかった。

あえて、「野」を選んだ。

整いすぎていない場所。

人の心がまだ固定されていない場所。

「鹿の野」には、そんな意味が込められているのかも。


☆生き物としての鹿

生き物としての鹿も、これまた、さまざまな生き方の示唆を与えてくれる。

鹿は、

  • 群れで生きる
  • でも過度に密着はしない
  • 危険を察すると、サッと距離を取る

近づきすぎず、離れすぎず。

この距離感が、集団と個を両立させてるわけ。

ベタベタしないけど、孤立もしない。

鹿は、関係性の取り方が、とってもお上手。


☆まっつんスタイル語訳|鹿とは何か?

じゃあ今回も、鹿を、まっつんスタイルで翻訳してみる。

  • 騒がしい場所からは離れる
  • 自分の声が聞こえる場所に行く
  • 無理に戦わない
  • やさしさと調和を大事にする
  • 静かな方を選ぶ

鹿は、静けさの象徴

悟りは、静寂の副産物


☆エロモテZEN的・現代解釈

強さを誇る男は、どうしても、うるさくなりがち。

声がデカい、我を振りかざす、場を仕切りたがる。

ついでに筋肉を見せたがる(笑)。


でも、どうやろ。

原始時代ならいざ知らず、現代において、人の強さ(魅力)はそんなに単純じゃない。

  • 声を荒げない
  • マウントを取らない
  • 場の空気を壊さない

この静かで穏やかな在り方も強さであり魅力。

心地よい安心感を生む。

そしてその安心感は、余裕と色気になりうる。


やさしさは、弱さじゃなくて、“戦わない強さ”


☆小さな実践|今日の鹿

今日できる鹿(笑)。

これはめっちゃ些細なこと。

どっかで聞いたことがあるかも知らん(笑)。

でも効果は絶大。

  • “音”を減らす
  • 情報を一段落とす
  • 静かな場所を選ぶ


現代社会は、とにかくノイズまみれ。

だからホント、実際やってみるといい。

鹿の持つやさしさ、穏やかさ、静けさが救いになる。

そのことに一瞬気づくだけでも、生き方の質は格段に変わると、まっつんスタイルは思う。


“鹿的静けさ”は、自分に戻るための通路であり、お作法。


☆今日は鹿でいい

世界は、今日もうるさい。

うるさすぎる(笑)。

だからこそ、ちょこっと鹿のいる場所を選んでみる。

  • 競争から一歩引き
  • 評価から距離を取り
  • 自分の心の声を取り戻す

今日は、鹿でいい。

それで十分☆


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