☆なぜ最初の説法は「鹿のいる場所」だったのか?
鹿と仏教。
実はかなり密接でね。
お釈迦さまが悟りを開かれたあと、最初に法を説かれた場所。
その場所は、「鹿野苑(ろくやおん)」と呼ばれてる。
鹿の野の苑。
インド・サールナートにある、その名の通り、鹿の集う静かな場所。
そこには、怒号も歓声もなければ、罵声も賞賛もない。
あったのは、乾いた風と、土の匂いと、鹿の気配だけ・・・。
そう、悟りは、人間が集まりすぎた場所では起きないんよね。
評価が飛び交い、勝ち負けが渦巻き、正しさがぶつかり合う・・・。
そんな場所では、人の心は外に引き裂かれる。
悟りは、“静かな場所で、自分の声を聞き、その声すら聞こえなくなったとき”にだけ起きる
「鹿野苑」という名前は、そのことを見事に表してる。
☆出典|「鹿野苑」という象徴
「鹿野苑」は、お釈迦さまが五比丘(釈迦の最初の5人の弟子)に向けて、最初の説法を行った場所。
そこで語られた教えは、奇跡でも、ましてや過激な革命思想でもない。
語られたのは、
極端に走るな。中道を歩め
って、たったこれだけ。
派手さも何もない。
でも、苦行が主流だった当時のインドに静かな波紋をもたらした。
この言葉がなかったら、仏教は始まらなかった。
鹿が静かに闊歩し、草を食む場所。
この静けさこそが、教えの器になった。
そんな感じ。
☆仏教的な意味|鹿は「やさしさ」の象徴
仏教において鹿は、やさしさと調和の象徴。
鹿は、
- 温厚で
- 警戒心が強く
- 無用な争いをしない
そんな生き物。
彼らは、暴力的な環境を好まない。
常に角を突き合わせ、力を誇示し合う場所に、鹿はいない。
鹿は、静かな場所を選ぶ生き物だから。
これって、悟りの条件そのもの。
・・・なんか書いてるだけでやさしい気持ちになる(笑)
☆なぜ「野」なのか?
鹿野苑の「野」は、完成された庭園ってわけじゃなくてね。
ここで言う「野」は、
- 管理されていない
- 競争が少ない
- 評価が届きにくい
そんな“余白のある場所”のこと。
仏教は、王宮でも、競技場でも、市場(バザール)でも始まらなかった。
あえて、「野」を選んだ。
整いすぎていない場所。
人の心がまだ固定されていない場所。
「鹿の野」には、そんな意味が込められているのかも。
☆生き物としての鹿
生き物としての鹿も、これまた、さまざまな生き方の示唆を与えてくれる。
鹿は、
- 群れで生きる
- でも過度に密着はしない
- 危険を察すると、サッと距離を取る
近づきすぎず、離れすぎず。
この距離感が、集団と個を両立させてるわけ。
ベタベタしないけど、孤立もしない。
鹿は、関係性の取り方が、とってもお上手。
☆まっつんスタイル語訳|鹿とは何か?
じゃあ今回も、鹿を、まっつんスタイルで翻訳してみる。
- 騒がしい場所からは離れる
- 自分の声が聞こえる場所に行く
- 無理に戦わない
- やさしさと調和を大事にする
- 静かな方を選ぶ
鹿は、静けさの象徴。
悟りは、静寂の副産物。
☆エロモテZEN的・現代解釈
強さを誇る男は、どうしても、うるさくなりがち。
声がデカい、我を振りかざす、場を仕切りたがる。
ついでに筋肉を見せたがる(笑)。
でも、どうやろ。
原始時代ならいざ知らず、現代において、人の強さ(魅力)はそんなに単純じゃない。
- 声を荒げない
- マウントを取らない
- 場の空気を壊さない
この静かで穏やかな在り方も強さであり魅力。
心地よい安心感を生む。
そしてその安心感は、余裕と色気になりうる。
やさしさは、弱さじゃなくて、“戦わない強さ”。
☆小さな実践|今日の鹿
今日できる鹿(笑)。
これはめっちゃ些細なこと。
どっかで聞いたことがあるかも知らん(笑)。
でも効果は絶大。
- “音”を減らす
- 情報を一段落とす
- 静かな場所を選ぶ
現代社会は、とにかくノイズまみれ。
だからホント、実際やってみるといい。
鹿の持つやさしさ、穏やかさ、静けさが救いになる。
そのことに一瞬気づくだけでも、生き方の質は格段に変わると、まっつんスタイルは思う。
“鹿的静けさ”は、自分に戻るための通路であり、お作法。
☆今日は鹿でいい
世界は、今日もうるさい。
うるさすぎる(笑)。
だからこそ、ちょこっと鹿のいる場所を選んでみる。
- 競争から一歩引き
- 評価から距離を取り
- 自分の心の声を取り戻す
今日は、鹿でいい。
それで十分☆


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