人生は前から理解するものじゃなく、後ろから理解するもの 〜遠回りは、本当に遠回りなのか〜


こないだふと、

「そんなこともあったな〜」

ってことを思い出してね。

人生には、

「あれって、なんやったんやろ?(笑)」

みたいな不思議な出来事があるもんで。

その時は、意味不明。

もしくは、失敗。

遠回り。

無駄足。

不運・・・。

そんなふうにしか思えんような出来事。

でも、何年かして振り返ると、

「ひょっとして、“あれがあったから今がある”、的な?」

みたいに思えることって、意外とある。

・・・うん、言葉にしてみると、なんかベタな話やけど(笑)、ホンマにそう思ったのよね。

というわけで、今日はそんな話を、ちょこっと書いてみる。


☆なぜかあのタイミングで日本語教師になろうとした

もう何年も前のこと。

まっつんスタイルは、昔から日本語教師っていう仕事に興味を持っててね。

ちょっと思い切って目指してみようとしたことがあったのよ。

日本語。

日本の歴史。

伝統文化。

外国人との交流・・・。

なんかずっと憧れてて、なんなら今でも、そのうちやってみたい仕事のひとつ。

ただその当時。

今にして思えば、かなり特殊な状況やったのよね。

そう、離婚直後(笑)。

興味があったのは事実。

「やるなら今かも!」

って、そこそこ腹を括ったのも事実。

でも同時に、不安というか、焦燥みたいなもんも大きかったんやと思う。

「このままでええんやろか?」

「なんかせなあかんのちゃう?」

「ここって、人生変えるとこじゃね?」

そんな焦り?

正直言うと、夢に向かってグイグイ前進っていうより、ちょっとやけくそに近かった気もする(笑)。

で、ある日、意を決して、大阪にある日本語教師養成講座の学校に向かったわけ。

「話だけでも聞いてみよう」

「なんなら、実際の授業を見させてもらおう」

そんなことを思いながら。

しかもアポなし。

今考えると、なかなか豪快で、そしてテキトー(笑)。


☆「閉まっとるやないかい!」

で、着いた。

その学校に。

すると・・・。

閉まっとる(笑)。

休み?

閉校日?

「なんじゃそら!(笑)」

当時はそれなりにショック・・・、やったかな?

交通費もかかった。

時間もかかった。

勇気も出した。

なのに、閉まっとる。

完全に無駄足。

「まぁ人生こんなもんか・・・」

そんな感じやった気がするけど、そのときの感情までは、あんま覚えてない(笑)。

でもねぇ・・・、今にして思うわけ。

「あの日って、ホンマに無駄やったんやろか?」

って。

いや、マジで(笑)。


☆人生は後から意味が生えてくる

じゃあ、もしあの日、学校が開いてたらどうなってたやろ?

わからんけど、一つの可能性として、そのまま日本語教師一直線やったかもしれん。

もし、あの日、話を聞けてたら?

そのまま講座に申し込んでいたら?

もちろん、それも悪くない選択やったとは思う。

でも、今とはずいぶん違う人生になってた可能性が高いわね。

そうなると、今のまっつんスタイルは存在してなかったかもしれん。

ブログもなかった。

ネットビジネスを学ぼうとも思わなかった。

タチコマと出会うことも、たぶんなかった(笑)。

関東移住も、“モテエロZEN”の追求もなかった。

今のこの価値観のまっつんスタイルは、出来上がらなかった。

・・・いや、断言はできんけども(笑)。

でもそう考えると、あの日の閉校日って、不運とかじゃなく、必然の伏線?

「待て待て! 今じゃないねん!」

っていう、天の差配?(笑)

なんかちょっとゾクっとするよね。

スゲ〜なと(笑)。

あの時は、

「なんでやねん!」

っていう、意味不明状態?

でも、後から意外な意味が生えてくる。

人生って、マジで、こういうことがあるんよね。


☆遠回りは、本当に遠回りなのか

人間、誰しも、遠回りはイヤなもの。

失敗も、無駄もイヤ。

できれば効率よく、最短最速で。

そう思うもの。

でも、人生振り返ると、おもしろいことに、本当に役に立ってるのって、案外遠回りの方やったりせんかね?

失敗。

挫折。

屈辱。

回り道。

黒歴史・・・。

どれも、“今”っていう最適解への前フリやったとか?

まっつんスタイルの場合は、全部ブログのネタ(笑)。

全部、無二の経験。

全部、無二の物語。

少なくとも、今の俺から眺めた過去は、そう見えるよね。

なんか、人生に無駄なことなんて、ホンマにないんかもしれん。

まぁベタな言い回しやけど・・・。

フリが効いてれば効いてるほど、オチの威力は増すもんやし(笑)。


☆「TAO」という便利な考え方

最近のまっつんスタイルは、物事を「TAO(道)」として眺めることが増えた。

老荘思想の“あれ”ね(今回は詳細は省略(笑))。

それが、今回の記憶の呼び覚ましに繋がったんかもしれん。

同時に、その向き合い方にも、変化をもたらしたんかもしれん。

別に、「なんとか教」の教えとかじゃない。

スピでもない。

ただの独自解釈。

人生には、自分で頑張るパートと、大きな流れに任せるパートがある、と。

そういうような世界の捉え方?

全部を自分でコントロールしようとするのは苦しい。

頑張る。

行動する。

挑戦する。

どれも大事。

でも、その結果がどう転ぶかまではわからんからね。

アンコントローラブル。

だから最近は、

「まぁたぶん、これもなんか意味あるんやろ(笑)」

くらいに考えることが増えたかな、と。

何かが起きるたびに、未来の意味まで全部決めつける必要なし。

今は意味がわからんことでも、あとから違う景色に見えるかもしれん。

そう思えるだけで、少しラクになる。

こういう考え方って、実はなかなかに高度で、自然で、便利で、なによりラクやったりする(笑)。


☆否定も肯定もしない

これ、禅っぽく言うと、

出来事そのものに「良い」も「悪い」もない

ってことなんかな、とも思うよね。

思い切って訪問した、日本語教師養成講座の学校。

閉校日(笑)。

でも、

“ただ”、閉校日やった。

実はそれだけ。

「あの日、学校は閉まってた」

それが事実。

「無駄足やった」と思うのも、「人生の伏線やった」と思うのも、後から自分が眺めた景色。

で、今のまっつんスタイルには、後者の方がおもしろく見える(笑)。

あの日が絶対に必要やったのかどうかまでは、わからん。

でも結果として、今の人生に繋がった。

・・・ように感じなくもない。

やったらもう、それでいい。

人生って、その瞬間は意味不明でも、後から伏線回収されることがあるから。

で、伏線回収って、めっちゃ気持ちいい(笑)。

無理に答えを出そうとしない。

無理に解決しようとしない。

少しだけ、人生のドラマに、身を任せてみる。

これってちょっと、禅っぽくないかね?


☆結び

そう、あの日、日本語教師養成講座の学校は閉まってた(笑)。

無駄足やった?

いや、どうやら違う。

あれって実は、今のまっつんスタイルを作るための、そこそこの大イベントやった可能性あり。

人生の中の、“なにやら見えない力”による、小さくも大きい方向修正やったんかもしれん。

うん、なんか書けば書くほどそんな気がしてきた(笑)。

人生ってホントよくできてる。

ドラマチック(笑)。

だから今日も、やることはやる。

行動もする。

努力もする。

でも、全部を自分で何とかしようとは思わないこと。

人生にはきっと、頑張るパートと、任せるパートがある。

で、案外、人生を動かすのって、後者の仕事やったりするから。


最後に。

「人生は前から理解するものじゃなく、後ろから理解するものなのかもしれない」

・・・って、どこぞの偉い哲学者が言ってたことを書いとく(笑)。

そしてTAO、恐るべし☆


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